トリ・アングル INTERVIEW

俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ

vol.27

復興の先へ!震災10年のまちづくり

岩手、宮城、福島の3県を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災の発生から10年が経過する。2011年3月11日、震災に伴う津波や建物の倒壊などで死者、行方不明者、関連死を含め2万2000人以上が犠牲になり、街並みはがれきの山へと一変した。しかし、この10年間で住宅や道路、鉄道などのインフラ整備が進み、被災3県は浸水地域の1万8000戸の宅地整備を終えている。未曽有の被害でゼロから始まったまちづくりを振り返り、復興の現在地と未来を探る。

Angle B

前編

「ありがとう」 被災地に浸透するUR

公開日:2021/3/16

独立行政法人 都市再生機構

震災復興支援室長

草場 優昭

震災発生直後から被災地に職員を派遣し、被災自治体の要請に基づき、基盤整備に取り組んできたUR都市機構。10年の年月をかけ、1314ヘクタールの土地、5932戸の引き渡しが完了した。事業に真摯に取り組む姿勢に、現地では知名度の低かった「UR」が徐々に浸透する。陸前高田復興支援事務所(岩手県陸前高田市)のトップとして、3年間にわたり復興事業にあたった草場優昭・震災復興支援室長に話を聞いた。

UR都市機構の復興支援事業の概要と10年の歩みについて教えてください。

 2011年3月11日の東日本大震災発生直後から、UR都市機構では被災地に職員を派遣し、復旧・復興活動に取り組んできました。
 被災自治体からの要請に基づき、当初は復興の計画策定や仮設住宅の用地確保の支援を行い、その後、住民の生活再開や地域活動の再建の場となる復興拠点を整備するため、基本構想や基本計画などの構想・計画段階から事業実施までを支援しました。
 これまでの10年間で、26県市町村と復興まちづくりに関する協力協定等を結び、津波被災地では、復興市街地は22地区で約1314ヘクタール、災害公営住宅では86地区で5932戸を整備し、今年1月に宅地および災害公営住宅はすべて引き渡しとなりました。福島県の東京電力福島第一原子力発電所事故による原子力災害被災地における支援では、いわき市にある福島震災復興支援本部を設置し、これまでに171ヘクタールの復興拠点整備等に着手しており、今後も引き続き支援を行います。

復興支援事業に携わった経緯やきっかけを教えてください。

 震災翌年の2012年から現地で復興支援にあたる専任チームを配置し、2016年7月には最大の460人態勢となりました。これまでに延べ約3000人が、現地で復興支援に携わっています。
 私自身も2016年4月から陸前高田復興支援事務所長として、現地に入り、3年間にわたり、復興支援に当たっておりました。
 それ以前は渋谷駅街区プロジェクト(東京都渋谷区)を2年間担当し、東京五輪・パラリンピックを目指し、タイトなスケジュールで事業を進める立場でした。私としては、復興事業がピークとなり、スピードを求めていたため、渋谷での経験を生かす意味で現地担当になったのかなと思っています。
 赴任するまでは、一度も被災地に入ったことがなかったのですが、4月1日に現地に着任した際、まだ被災建物が残る荒涼とした現場の雰囲気に驚き、これは渋谷とはまったく異なる現場に来たと身が引き締まる思いでした。

【事業が進む高田地区中心市街地を望む(2016年5月)】

※UR都市機構 提供
※UR都市機構 提供

事業完了の感慨ありますか?

 3年間を被災地の陸前高田で過ごし、2019年4月に本社の震災復興支援室長となりました。陸前高田は今泉地区と高田地区を合わせて約298ヘクタールとUR最大の支援地区であり、10年経ったいま、ようやく基盤ができあがったかな、という感じですね。
 これで、URが津波被災地で受託した復興市街地整備の全ての宅地引渡しと災害公営住宅の引渡しが完了し、一応の区切りはつきました 。
 このように事業が進捗できたのは、被災自治体の強いリーダーシップと現場の設計・施工を担っていただいた関係者の方々の高い技術力によるものであり、心から感謝を申し上げたいと思います。

10年の取り組みの中で記憶に残っていることは?

 陸前高田では新たな高台住宅地の整備と浸水区域のかさ上げ、山側にシフトした新しい市街地の整備を組み合わせた事業であり、工事量も多く、スケジュールに追われる毎日でした。迅速に、かつ安全に進めるために、行政やゼネコン、住民の方と多く話し合い、さまざまな意見を取り入れながら工事を進めてきました。
 山を削った土砂をダンプカーで運んでいたのでは何年もかかってしまうと、土砂搬出用のベルトコンベヤーも活用したのもそのひとつの事例です。それにより、短期間に大量の土砂を運ぶことができ、どうにか期限内に整備することができました。
 そんな毎日でしたが、住宅を再建する地権者の方に整備した宅地を引き渡す「引き渡し会」で、みなさまから「やっと、これで自分の家が建てられる」「どうもご苦労様でした」「ありがとうございました」と言っていただけるのが本当に嬉しかったですね。
 当初、地元ではURというのがほとんど知られていませんでしたが、地元の方から「URさん」と呼ばれるようになり、UR自体が地元に浸透してきたことを実感できたのも感慨深かったです。

【今泉地区の高台から眺めたベルトコンベヤーの設置状況(平成26年7月撮影、現在は撤去済)】

※UR都市機構 提供

まちづくりについて重要だと思われることは?

 まちづくりは地域の方々が中心になりますので、地域の方々との信頼関係が最大のポイントではないでしょうか。それは渋谷でも被災地でも同じことです。復興まちづくりの現場は、危険なため、地権者の方が立ち入ることができません。そのため、地権者の方に対しては、自宅を再建する土地が現在どうなっているかなどを図面や写真で報告し、さらに今後はこういう作業をし、こういう風になりますと逐一、スケジュールを説明しております。
 相手の立場に立ち、地権者の方が不明な点、疑問点に真摯に答え、手を携え、まちづくりを進めることが重要ではないか、と思っています。
※後編は3月19日(金)公開予定です。

くさば・まさあき 1960年生まれ。佐賀県唐津市出身。2014年から東日本都市再生本部事業推進部プロジェクトマネージャーとして渋谷駅周辺の再開発を担当。事業推進部担当部長を経て、2016年から岩手震災復興支援本部陸前高田復興支援事務所長に着任。2019年より現職でURの復興支援を指揮している。
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