時代の変化にチャンスを見い出す すべてのビジネスパーソンへ

Grasp

トリ・アングルINTERVIEW

俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ

vol.27復興の先へ!震災10年のまちづくり

公開日:2021/3/11

A

[ 前編 ]

「死」を覚悟した3.11 芸能活動の糧に

俳優横田 龍儀

東日本大震災は発生から10年を経たが、いまだ余震が続くなど、東北3県を中心に大きな傷痕を残している。とりわけ福島第1原子力発電所事故があった福島県では、いまだ帰還困難区域が設定されるなど、厳しい現実と向き合う生活が続いている。同県川内村出身で自らも被災し、避難生活を経験しながら、名だたる刀剣たちが戦士の姿になって戦うゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」を原案にしたミュージカル『刀剣乱舞』で物吉貞宗を演じ、NHK紅白歌合戦にも出演するなど、芸能界で活躍中の横田龍儀さんに震災の記憶を聞いた。

故郷であり、現在ふるさと大使も務める川内村とはどんなところですか?

 福島県の浜通りに位置して、北側から東側を浪江町、双葉町、大熊町などに囲まれ、南側はいわき市に隣接しています。山々などに囲まれ、自然と緑が豊かで、人も優しく、村民全体が家族のようでした。あまり買い物をする場所も、ゲームセンターのような遊戯施設もありませんでしたが、そうした自然の中でのびのびと育ちました。

【緑の山々に囲まれて自然豊かな川内村】

※川内村提供

東日本大震災では自宅が被災しました。そのときの状況を教えてください。

 当時は高校1年でした。その日は高校が入試日だったため、在校生は休みで、自宅でパジャマ姿のままテレビを見ていました。少し眠くなって、そのままコタツで寝ようとしたとき、緊急地震速報のアラームが鳴りました。ただ、あの頃は1月ぐらいから頻繁に鳴っていたので、「どうせ今回もたいしたことはないだろう」と思って、そのまま寝ようとしていました。そうしたら突然、「ゴ、ゴ、ゴーン!」と、ものすごい音がして、「ドーン」と、まるで地面が落ちるような衝撃がありました。そこから縦揺れが始まって、皿が割れたり、タンスなどが倒れる音がしたので、急いでコタツの中に潜り込みました。それでも激しくモノが倒れる音が続いて、「ああ、自分はもう死ぬんだ」と覚悟しました。
 そのうち、揺れが収まったので隣の部屋にいた父と姉の安否を確認しに行ったら、姉は茫然(ぼうぜん)としていましが、父は冷静で「外に避難しろ」と言ってくれました。家の外に出ると、また余震があり、近所の人たちの「もうやめて!」という叫び声が聞こえました。道路がみるみる盛り上がって、裂けていくのを目の当たりにしました。周りでは至る所から泣き叫ぶ声が聞こえて、僕自身、「いったい、どうなるのだろう…」と立ち尽くしました。
 停電が復旧した後、倒壊の影響で画面にひびの入ったTVを見て、津波の被害の詳細を知りました。自宅は内陸部だったので大丈夫だったのですが、介護の仕事をしていた母の職場近くも流されていました。もし、震災直後、母が帰宅せず、職場に残っていたら…と思うと、今でもゾッとします。

その後、原発事故の影響で神奈川県に避難しました。

 ニュースで原発の水素爆発を見た父が「避難するぞ」とすぐ決断しました。不幸中の幸いだったのが、姉が4月から神奈川県の専門学校に通う予定で、神奈川に一人暮らし用の部屋を契約していました。それで家族でそこに避難することになりました。ただ、同居していた、おじいちゃんとおばあちゃんは「私たちはここに残る」と説得に応じなかったので、離れ離れになってしまいました。
 避難先の大家さんが親切な方で、事情を説明したら、契約の1~2週間前だったのですが、入居させてもらえました。父と母、母の妹、姉と5人での生活が始まりました。約1カ月後に現地で高校にも編入できることになりました。幸いなことに周囲の人達に恵まれて、僕は風評被害にもほとんど遭わなかったです。ただ、ショッピングセンターに行ったときに、駐車場が混雑していたにもかかわらず、自分たちの「いわきナンバー」の車の周りだけが空いているのを見て、「ああ、やっぱり、避けられているんだ」と悲しくなったことを覚えています。別のところに避難した友人は、風評被害やいじめにも遭ったとも聞きました。

一方で、多くの芸能人らが震災直後から被災地で支援に動きました。自身の芸能界入りにどんな影響を与えましたか?

 すごく、ありがたかったですし、僕自身も勇気づけられました。有名人が来てくれるだけで、みんなが笑顔になるのです。僕自身、父の影響もあって、ずっと仮面ライダーを見て育ち、その主人公になりたいと思っていましたが、被災地での芸能人をみて、「(芸能人は)夢や力を与えられる職業なんだ。自分も感動を与えられる存在になりたい」と。それまで漠然としたあこがれだった芸能界が、しっかりとした目標に変わりました。

【芸能界入りのきっかけとなったJUNONのコンテストでは特技の獅子舞を披露】

©JUNON

とはいえ、避難生活の中で芸能界を目指すことに迷いはなかったですか? また家族や周囲の反応はどうでしたか?

 やはり、「家族に迷惑をかけたくない」「みんな大変な思いをしているのに自分だけが夢を追い求めるわけにはいかない」という気持ちが強かったです。それで高校2年のとき、進路希望調査で「調理師」と書きました。両親にそれを伝えたら、いつもは優しい母が、見たこともない冷めた顔で「お前の夢って、そんな(簡単に諦められるような)ものだったの?」と言ったのです。今思えば、「それだけ期待してくれていた」ということだと思いますが、いつも親身になってくれていた母から突き放されたような気がしてギクッとしました。そうしたら父が「俺たちのことは気にするな。お前のやりたいことをやれ!」と…。その直後に行われた「第25回 JUNON SUPERBOY CONTEST(ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト)」(応募者1万3816人)で審査員特別賞をいただいたのをきっかけに芸能界に入ることができましたが、今の僕があるのは、あのとき両親が背中を押してくれたからです。
※後編に続きます。

プロフィール

よこた・りゅうぎ 1994年9月9日生まれ。福島県出身。身長170cm、体重50kg。東日本大震災では自宅で被災、神奈川県内で避難生活を過ごす。2012年に伊藤英明、三浦翔平、菅田将暉らを輩出した若手俳優の登竜門、ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで審査員特別賞。15年に映画『宇田川町で待っててよ。』で映画初出演にして初主演。17年に『刀剣乱舞』~三百年の子守唄~の物吉貞宗役で2.5次元ミュージカルにデビュー。20年12月にはミュージカル『グッド・イブニング・スクール』で主演を務める。趣味は散歩、ゲーム、読書。特技はボクシング(歴11年)、獅子舞、キーボード。