トリ・アングル INTERVIEW
俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ
vol.44
足元に宝の山! 循環型社会を実現する下水道資源
下水道の主な役割といえば、汚水を処理場で浄化し、川や海に戻すことなどを思い浮かべる方が多いと思います。
しかし、近年はそれだけにとどまりません。栄養豊富な処理水、有機物を多く含む汚泥、発電利用が進むバイオガスなど、汚水の処理過程で発生するさまざまな資源やエネルギーが、循環型社会を実現する鍵として注目を集めているのです。
今回はその中でも「下水道資源の農業利用」にフォーカスし、下水道の持つ高いポテンシャルに迫ります。
後編
江戸の長屋に見る循環型社会から私たちが学ぶべきこととは
公開日:2023/4/26
映画『せかいのおきく』 脚本・監督
阪本 順治
後編
黒船が来航し、日本が世界の渦に巻き込まれていく江戸末期。混乱する幕府とは無関係に庶民は日々を懸命に生きていました。阪本順治脚本・監督の青春時代劇『せかいのおきく』は、武家育ちながら今は貧乏長屋に住むおきく、古紙や糞尿を売り買いする底辺の若者、中次と矢亮らの青春時代劇です。その3人の生き様とエコ社会だった江戸時代の生業や暮らしぶりなどから、今の私たちが何を学ぶべきかについて伺いました。
『せかいのおきく』というタイトルにどんな想いが込められていますか。
おきくの父(佐藤浩市)と長屋の厠で会った中次が、「なあ、せかいって言葉、知ってるか。惚れた女ができたら言ってやんな、俺はせかいでいちばんお前が好きだって。これ以上の言い回しはねえんだよ」と教えられるシーンがあります。これは、江戸でもなく、日本でもなく、世界という一番大きな意味での「せかい」でもあるし、身分とか障害を超越するといった意味合いもあると思います。
この映画は最初に撮り始めてから約3年かかったんですが、その期間はほぼコロナ禍のど真ん中でした。家にずっと居て、テレビをつければパンデミックで、ある種、焦燥感と絶望感の中で脚本を書いていました。すると、どうしても頭が世界で起きているディストピアな方向を意識してしまって、「せかい」というワードが外せませんでした。
ペリーが黒船で来航し、安政の大獄が起きて、ゴタゴタしている幕末を背景に、あえて庶民に光を当ててこの小さな話をやりたかったんですね。お上がどういう事態になっているのか、市井の民にもうっすら聞こえてはいるけど、毎日の庶民の営みは何も変わらない。台詞にもあったように、「人間、口から物を入れて下から出すだけのもん」というサイクルがある。人は死んで土に還り、それがまた栄養になって食物も育つ。そこは国の形態がどうなろうと変わらないというひとつの真理でもあるわけです。
また、おきくはあることで声を失ってしまいますが、それを機に、おきくの世界が逆に広がるというか、新しい世界を知るという想いも込めました。たぶん映画を観てもらえば、わかると思います。
平成27年の下水道法改正により、発生汚泥の処理にあたって肥料等として再生利用されるよう努めることが明確化されています。国土交通省においても、下水汚泥などを肥料として再利用する「循環型農業」等の取組 を推進しています。
循環型農業について学んでいくと、人間の発想って江戸時代に戻るんだなあと思いました。捨てるものが再利用できれば、そのほうがいいに決まっています。江戸時代は今と違って、糞尿にケミカルなものや有害物質は含まれていないし、自然循環の一環として糞尿を利用していたから理にかなっていました。問題は回虫が発生することで、これを防ぐために肥溜めで何日も発酵させたり、灰や藁を混ぜたりしていました。まあ、それでも回虫が出てお腹を下す人がたくさんいたらしいですけど。
人間が食べたものからすべての栄養が吸収されるわけじゃないから、排泄物には何かしらエネルギーの素になるものが残っているはずです。今は肥料の多くは中国などから輸入しているそうですが、下水汚泥肥料も安価に提供できるなら農家の負担も減ると思います。下水道資源の農業利用によって農家が化石燃料や農薬から解放され、技術によって安全性も確保できるなら、大いにウェルカムですよね。
江戸時代の循環型社会から現代人が学ぶべきことは何でしょうか。
当時の紙屑問屋は捨て紙や書き損じを再利用していたんです。墨汁で汚れたものは「烏」といって安かったらしい。紙屑問屋のリサイクルの紙は便所紙にもなっていた。武家では真っ白な紙でお尻を拭いたりするんですけど、紙でお尻を拭けたら御の字で、最下層の人たちは藁とか板で拭っていたようです。紙だけでなく、いろんなものが土に還るまで、灰になるまで使い切る、それが江戸のエコですね。
長屋には共同トイレやゴミ置き場があって、食べた後の魚の骨とか、野菜のヘタもゴミではなく、資源として再利用されていたはずです。日々の営みの中で長屋の人々が互いに知恵を働かせ、工夫していたということでしょう。
こうした生活から現代人が学ぶべきことがあるとすれば、それはつながりやコミュニティがもたらす豊かさじゃないでしょうか。何か起きたときに近隣の人とつながっていることで災害から身を守ることもできるし、寺は学びの場にもなっていた。そもそもそれぞれの家には鍵がないし、誰でも勝手に入れるってすごいですよね。時代考証の人に、ほんとにそうやって生活してたのかって聞いたくらいです。今でも地方の田舎に行くと、鍵をかけないところもあるから、江戸に限ったことではないと思いますが、人と人とのオープンなつながりはこれからも大事にすべきですね。エコな生活とともに、声かけ、お裾分けなどの文化も引き継いでいけたらと思います。
ロッテルダムでのプレミア上映(※)の反応はいかがでしたか。
ロッテルダムのあるオランダはサスティナビリティの先進国なんですよ。温室効果ガス削減についての政策も進んでいます。現地で鑑賞いただいた方々には1つの青春物語として楽しんでもらいつつ、江戸の循環型社会についても理解していただけたようです。国際映画祭の観客って、自分が期待していた映画と違うと、バタンバタンと音を立てて出て行ってしまうんです。『せかいのおきく』もうんちの描写を不快に思って出ていく人がいるかなあと思っていたのですが、2回の上映中、誰一人出ていかなかったですね。
質疑応答のときに、下肥買いや紙屑拾いという職業があったことは僕からも説明しましたけど、物語性やテーマ性を非常によくわかってもらえたなと感じました。『せかいのおきく』の企画・プロデューサー・美術の原田満生は、この映画にこんな想いを託しています。
「この映画で観る人の環境意識が変わるとは思わないが、こんな時代があったことを多くの人たちに、特に若い世代の人たちに知ってもらいたい」。
僕も想いは同じで、大げさに言えば「共生」が本作のテーマです。すべての営みは自然中心に循環していく。モノクロで撮影した川や池、あぜ道や竹林などの自然の美しさ、力強さもぜひ楽しんでもらいたいですね。
※第52 回ロッテルダム国際映画祭ビッグスクリーンコンペティション正式出品
後編