橋マニアがおすすめする東京の名橋
東京都道路整備保全公社橋梁担当課長紅林 章央
俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ
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橋マニアがおすすめする東京の名橋
東京都道路整備保全公社橋梁担当課長紅林 章央
橋を目玉とする観光ツアーがあったり、少なくない数の「橋マニア」と呼ばれる人々がいたり、単なるインフラの枠を超えた人気を誇る「橋」。長年、架橋事業に携わり、ご自身も橋マニアの一人だという紅林章央さんに、橋にハマったきっかけやおすすめの橋、日本における橋の将来像などについてお聞きしました。
紅林さんが橋にのめり込むようになったきっかけを教えてください。
実は、大学の土木工学科にいた頃は、橋にはほとんど興味がありませんでした。都市計画の研究室に在籍し、東京都に入庁したのも都市計画がやりたかったからです。ところが、配属されたのは橋梁の設計係。学生時代にもっとちゃんと橋について勉強しておけば良かったと後悔しましたよ。何しろ、橋梁などの土木構造物に必須の応用力学、構造工学の成績が一番悪かったので(笑)。
橋にそこまで興味がなかったとは意外です。
入庁して3年目に奥多摩大橋を造るプロジェクトに参加し、それが大きな転機になりました。橋の形や架ける場所を決めるところから始まって、図面を引いたり、地元への説明会を開いたりと、プロジェクト全般にわたって携わりました。
奥多摩大橋は斜張橋※という形式の橋なのですが、当時、多摩地区には斜張橋がなく、日本全体でもまだあまりなかったので、設計するために全国各所の斜張橋の現場を視察しました。「せっかく出張するなら」と、その周辺にある橋も見てまわり、これを繰り返すうちに橋を見るのが非常に楽しくなっていったんです。それから全国の橋を見て歩くのが趣味になり、気付けば30年で約6000橋を訪れていました。
※横浜ベイブリッジのように、塔から斜めに張ったケーブルを橋桁につないで支える構造の橋。
6000橋見てきた中で、紅林さんのおすすめの橋はどれでしょう。
ひとつは隅田川の清洲橋ですね。なんといっても美しいですよね。なにしろ、世界で一番美しいといわれていたライン川のケルンの吊橋がモデルですから。本家は第二次世界大戦でドイツ軍に破壊されたため、現在その面影が残っているのはこの橋だけです。左岸の上流から見た清洲橋が一番美しいといわれていて、特に、芭蕉庵史跡展望庭園から見た風景はライン川に似ているのだそうです。私にとって憧れで、技術者として永遠の目標でもあります。
確かに素人目から見てもかっこいい橋です。
東京新聞に80年代の日本のポップミュージックに関する連載※1があるのですが、その中に「名盤は必ずしも売れたレコードとは限らない」という意味の言葉がありました。清洲橋はまさしくそうだな、と。実は、清洲橋は隅田川で一番人気が高い橋ですが、同じ構造形式※2の橋は日本には他にないんです。つまり「売れた橋」ではない。それでも、名橋であることは間違いありません。
※1「80年代ノート」(田家秀樹)
※2自定式吊橋。ケーブルの端を橋桁に固定させた吊り橋で、一般に設計が複雑といわれる。
清洲橋は、関東大震災の震災復興事業で架けられた橋ですね。
はい、復興局が造った100年ほど前の橋ですが、その技術力の高さには驚きました。15年ほど前、隅田川橋梁の長寿命化対策を行ったのですが、そのときに建設当時の記録を見ながら清洲橋が現行基準をクリアできるかチェックしました。すると、耐荷力は最新の技術基準の2倍もあることが判明しました。
当時の日本は車社会ではありませんでしたが、復興局の技術者が残した文章を読むと、将来、アメリカのような車社会になると予見していたことがわかります。そのため、自動車に耐えられる丈夫な橋を造ったわけです。
さらに、「震度法」という世界初の耐震設計法が用いられ、現在の最新の耐震基準には達しないものの、戦後、阪神淡路大震災以前に造られた多くの橋に比べ1.6~1.7倍の耐震強度があることもわかりました。
ここまで、手厚く対策を施してくれたおかげで、100年間架け替えすることもなく、戦後の重交通を、ひいては首都の経済を支えてきました。震災復興は、将来を見据えた「未来を造り出すための投資」だった。まさしく公共事業の鑑ではないかと思います。
100年前にそれだけの技術力があったことに驚きます。
現在、一般的に用いられるコンクリートの圧縮強度は、1㎠に240㎏の重さをかけても潰れないレベルの強度ですが、永代橋のコンクリートの圧縮強度はなんと600㎏。硬いということはコンクリートの中に含まれる水分が少ないということでもあり、コンクリートを劣化させる中性化が起こりにくくなります。その分、橋の寿命が延びますから、戦後の高度成長期に造られた橋よりも、実は、ずっと強い。将来の維持管理まで睨んで橋を造っていたと思います。
当時の橋づくりに対する情熱を感じますね。
日本の橋梁技術は急速に発展し、80年代にはヨーロッパを抜きました。私はヨーロッパの橋はそこから方向性が変わったと感じていて、現代アートの彫刻のような橋が造られるようになりました。現在、海外には独創的な橋梁設計者やデザイナーが大勢いて、今までにない斬新なデザインの橋を生み出しています。
一方、日本はどうなったかというと、現在造られている橋の99%はシンプルな構造の桁橋です。コスト縮減で、建設費が安価な桁橋一辺倒になってしまいました。建設コンサルタントでも、45歳以下の人は桁橋以外の橋を設計したことがないと思います。これは橋梁メーカーやゼネコンで橋の製作や建設を行う人たちも同様だと思います。橋の技術力が、この20年間で急速に、この国から無くなっています。
80年代には、ヨーロッパを抜く技術力を持っていたのに、ですか。
今世紀に入る直前、明石大橋を架橋するなど、日本は世界で一番の橋梁技術を持っていたと思います。大野美代子さん(1939~2016。横浜ベイブリッジのデザイン等)をはじめ橋梁デザイナーもたくさんいて、景観的にも素晴らしい橋を造っていました。ところが、今世紀に入ってコスト縮減が叫ばれるようになり、そうしたデザイナーに仕事がいかなくなってしまった。ここ10年くらいは「橋の長寿命化」にシフトして架け替えが減り、橋を架ける機会自体が少なくなりました。その間に、世界的に高いとされた日本の長大橋建設の技術も、中国や韓国に追い抜かれてしまいました。
日本の橋梁技術を復活させるにはどうしたらいいと思われますか。
ヨーロッパのような方向性が良いのではないかと思います。単に長い橋を架けるというなら、工事費が圧倒的に安い中国や韓国には敵わないでしょう。そこで、いわば「ブランドもの」を造る技術力を持ったほうがいいのではないかと思います。
ただし、今の日本には「ブランドもの」といえるだけの魅力を持った橋を造る技術はありません。まずは、設計技術やデザイン技術、複雑な形を造り上げる加工技術を持つ必要があります。それを、ぜひ国土交通省に主導してもらいたいです。
そのためには何がカギになりそうですか。
現在、日本では国土交通省が旗振り役となって、BIM/CIM※といった三次元での設計手法を普及させようとしています。ただし、ただ単に施工の効率化を目的としてBIM/CIMを使うのではなく、デザイン力やデザインをもとにした製作力といったところに生かすことが大切です。
それから、明治や関東大震災の復興を手がけた技術者たちのように、若い人たちには海外に出て、ベルギーのローラン・ネイ(1964~。長崎県の出島表門橋のデザイン等)などの優れた技術者に学び、進んだ技術を持ち帰ってきてほしいと思います。それが、これから日本の橋が生き残っていくための戦略になるのではないでしょうか。
※計画、調査、設計、施工、維持管理の各段階において3次元モデルを連携・発展させた設計手法。それにより事業全体にわたる関係者間の情報共有を容易にし、建設生産・管理システムの効率化・高度化を図ることを目的としている。
最後に、紅林さんの考える橋の魅力について教えてください。
橋の魅力というのは美しさと多様性だと思います。いろいろな形式があるのが良いし、それがいかに周りの風景に馴染み、新たな風景を作り出すかというところも面白い。隅田川の橋がすべて桁橋だったら、現在のような観光名所にはなっていなかったと思います。違う形式の橋がさまざまな表情を見せてくれるからこそ、架橋後100年経ってなお、多くの人に愛され東京でも有数の人気スポットであり続けているのではないでしょうか。