トリ・アングル INTERVIEW
俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ
vol.50-2
「2024年問題」を契機に、より魅力ある業界へ -建設業編-
2019年4月から、会社の規模や業種により順次適用が進められてきた「働き方改革関連法」。時間外労働の上限規制に5年間の猶予期間が設けられていた業種でも2024年4月1日に適用開始となり、誰もが安心して働き続けられるワークライフバランスがとれた社会の実現に、また一歩近づいたといえます。しかし、その一方で新たな課題として浮上してきたのが、いわゆる「2024年問題」です。国民生活や経済活動を支える物流業界、建設業界が、将来にわたってその役割を果たしていけるよう、企業や私たち消費者にはどのような取組、変化が求められているのでしょうか。
前編
働き方改革が、建設業界独自の慣習・構造にメスを入れる
公開日:2024/8/5
社会保険労務士法人アスミル代表
特定社会保険労務士
櫻井 好美
前編
2018年7月に公布され、2019年4月に施行となった「働き方改革関連法」。その中の「時間外労働の上限規制」については、建設業では業界の特性から直ちに適用するのは現実的ではないということで5年間の猶予が設けられました。2024年4月、ついに「時間外労働の上限規制」が始まり、建設業界はどのように変わっていくのか。長年にわたり、社会保険労務士として建設業界をサポートし続けてきた櫻井好美さんにお話をうかがいました。
社会保険労務士として、建設業界に関心を持たれるようになられたきっかけを教えてください。
社会保険労務士として開業をする前は、コンサルティング会社の営業職に就いていました。当時お付き合いをいただいていた建材メーカーのご担当者様と、開業後に偶然お会いする機会に恵まれ、その際に「弊社の協力業者会でセミナー講師をやりませんか」とお声掛けいただいたことが最初のきっかけです。
建設業界には元請け団体、専門工事業団体、都道府県ごとの団体、ゼネコンの協力会社会など様々な団体があります。そういった団体のひとつで労務管理セミナーを行わせていただいたことから今度は他の団体をご紹介いただき、徐々に建設業界での仕事が大きなウエイトを占めるようになりました。
それとともに業界の知識を深めていったのですが、建設業界は独自性が非常に強く、知れば知るほど新たな課題が浮かび上がってくる。気付けばすっかり、この業界に軸足を置くようになっていました。
建設業界の課題といえば、「社会保険未加入問題」がありました。
建設業界には社会保険未加入の事業者も多く、ずっと問題になっていました。2017年に、国土交通省により「適切な保険」に加入していない作業員は建設現場に入場できないという社会保険未加入対策(※)がスタートしたことで建設業界の独特な慣習がクローズアップされるようになりました。ここでいう「適切な保険」とは医療保険、年金保険、雇用保険のことで、これらは他業界では「入っているのが当たり前」という感覚だと思いますが、建設業界ではまだまだ未加入事業者が多数いるという実態が明らかになりました。
※『国土交通省直轄工事における社会保険等未加入対策の強化について』(2017年 国土交通省)。なお、2020年10月から、建設業者の社会保険の加入が実質義務化されている。
確かにそうですね。社会保険の問題だけでも、建設業界には独自の慣習があることがうかがえます。
しかも、建設業界には、「建設国保(※1)」という建設業従事者のための国民健康保険組合があったり、個人事業主や一人親方(※2)の存在があったりで、働き方によって「適切な保険」が違ってくるんですね。当時は、「適切な保険」がよく分からず、「協会けんぽ(※3)」という中小企業で働く方のための健康保険への加入が必須と誤解して、「建設国保」から切り替えた事業者も多くいました。私たちのもとには、「保険を切り替えたことで、事業主の負担が増えてしまった」「まともに社会保険料を負担したら会社がやっていけない」といった相談がたくさん寄せられました。従業員の方からも「保険に入ると手取りが減ってしまうから加入したくない」と言われたこともあり、他の業界をお手伝いしている時にはなかったような質問をいただくことが多々ありました。
労働環境の整備が遅れている業界の現状を知るにつれて、「建設業界には保険や労務管理の専門家である社会保険労務士のサポートが必要だ」「少しでもみなさんのお手伝いをしたい」という思いが深まっていきました。
※1 国民健康保険の一種で、建設業に携わる方が加入できる医療保険。保険料は全額自己負担。
※2 個人事業主とは法人登記をせずに個人で事業を営んでいる人。その中でも、従業員を雇う期間が年100日未満で、請け負った仕事は基本的に一人で施工する人が一人親方。
※3 自社で健康保険組合を持たない中小企業が加入する健康保険。保険料の半額以上を事業主が負担。
個人事業主や一人親方の働き方も、建設業界の課題のひとつだとか。
個人事業主も一人親方も、本来は「事業主」で、「自らの技能と責任で仕事を行う人」です。そのため、現場では他者との間に指揮命令関係は発生しないことになるのですが、現実的には「雇用」されている労働者と、「請負」で仕事に取り組む事業主との区別があいまいになっているケースが非常に多いです。「請負」のはずなのに、実態は上請け(※)からの指示によって動く「雇用」の関係になっていることがあり、「偽装一人親方」として問題になっています。
※元請負人である中小業者が、大手業者に下請け発注すること。
雇用関係であれば、会社は社会保険料を負担する必要がありますから、その負担から免れるための偽装というわけですか。他にはどういった課題が挙げられるのでしょうか。
重層下請問題も根深い問題のひとつです。建設業界においては、工事の総監督を担当している元請けのもと、一次下請け、二次下請け、さらに三次、四次の下請け業者が存在することが珍しくありません。この多重構造は合理的な側面もありますが、元請けからの距離が離れるにつれて下請け業者の経営者としての意識が薄れていき、進捗管理や安全管理などに問題が生じるおそれもあるのです。
また、現場の作業員においては日給月払いの問題もあります。働いた時間数ではなく、1日単価で給与が決まってくるため、労働者自身からして残業などへの意識が薄くなりがちです。他業界では想像しにくいかもしれませんが、有給休暇を取得したことがない方もたくさんいます。相談を受けていて、こうした建設業界独特の感覚に戸惑うことが少なくありませんでした。
そのような中で「働き方改革関連法」が2018年7月に公布され、2019年4月に施行となりました。建設業界ではどのように受け止められたのでしょうか。
正直なところ、建設業界では「本当にこんなことをやるのか?」と半信半疑で捉える方々が多かったように思います。そうなってしまう一番の理由は、建設業は工期のある仕事だからです。働き方改革に取り組みたくても、工期は守らなくてはならない。下請けの方々にしてみたら、「工期がある以上しかたがない」「我々に言ってもどうにもならない、元請けさんに言ってほしい」というのが本音です。
また、そもそもこの業界には職人気質の方が多く、仕事に対する誇りやこだわりが長時間労働につながっているという一面もあります。加えて、建設工事はそれぞれの顧客の要望に合わせて行われることから、現場によって状況は様々です。そのため、技術者の方の仕事は特に属人的になりやすく、「時間外労働は当たり前」として問題視してこなかったというわけです。
社会保険労務士である櫻井さんご自身は、「働き方改革関連法」をどのように受け止められたのでしょうか。
私としては、「ついにこの時がきたんだな」と前向きに捉えました。確かに、一朝一夕では解決できない課題が山積みではありますが、法律改正は間違いなく変革のチャンスです。「法律がそうなんだから、そうしなければならない」と社内外に向けて宣言できるというのはとても大きいことで、会社や業界が変わるきっかけとして、これ以上のものはありません。
もちろん、いきなりすべてを変えていくことは難しいでしょう。ですが、少しずつでも意識をして変えていくことが重要だと思います。
前編