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トリ・アングルINTERVIEW

俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ

vol.26伝統の灯を消すな!無形文化遺産

公開日:2021/2/26

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[ 前編 ]

巨大復原建造物で「奈良時代」体感を

国土交通省近畿地方整備局京都営繕事務所保全指導・品質確保課長野﨑 浩記

今から1300年ほど前に現在の奈良市と大和郡山市にまたがってつくられた都「平城京」。そこが都だった「奈良時代」は律令国家の仕組みが整い、天平文化の花が開いた時代だということは小中学校で習う。だが、平城京の中心部分である平城宮が現在、広大な歴史公園として整備され、巨大な大極殿(だいごくでん)などが当時の建築様式で復原されていることはあまり知られていない。復原建造物をはじめとする公園の魅力や、復原を可能にした匠の技について、発注者側の主任監督員である国土交通省京都営繕事務所の野﨑浩記氏に聞いた。

平城宮跡歴史公園は、いわゆる「公園」と比べるとけた違いに大きいですね。どのようなものを見られますか?

 広さは敷地面積約132万平方メートル(東京ドーム28個分)もあり、敷地の中を近鉄奈良線が横切っているほどです。近鉄奈良駅から1つ目の新大宮駅と2つ目の大和西大寺駅との間にある公園内には、当時の平城宮をイメージできる巨大な大極殿や朱雀門(すざくもん)などさまざまな復原建造物のほか、復原が行われていない部分は遺構が分かる表示、歴史を学べる複数の展示施設が整備されており、すべて無料です。さらには公園を楽しむ拠点として、公園を巡る前に、その全体像やポイント、奈良時代や平城宮について-といったことが〝予習〟できる「平城宮いざない館」、展望デッキや展望室から平城宮を眺められる「天平みはらし館」、カフェやみやげを販売する施設もあります。全長30メートルの復原遣唐使船も池に展示されており、乗り込んで見学することもできます。

奈良の市街地にもかかわらず、平城宮跡の広大な土地が開発もされずによく残っていましたね。

 794年に都が平安京(京都市)に移った後、9世紀後半には一面が田畑となって平城宮があったことさえ長い間、忘れられていました。その後、江戸時代末期の北浦定政、明治時代の関野貞によって平城宮の場所が推定され、大正時代の棚田嘉十郎らによる活動をきっかけとして平城宮跡の保存の機運が高まり、1922年(大正11年)に国の史跡、1952年(昭和27年)には特別史跡に指定されました。価値の高い美術品を重要文化財、中でも特に価値の高いものを国宝に指定しますが、価値の高い遺跡も同様に、史跡や特別史跡に指定されます。平城宮跡は特別史跡ですから、国宝級ということです。

【奈良文化財研究所による平城宮跡の発掘作業。発掘調査は60年以上も継続されている】

平城「京」と平城「宮」との違いは何ですか?

 平城京は、当時、文化が進んでいた唐の長安(現在の中国・西安)などに倣って、碁盤の目のような街割りで造営された都です。東西約6キロ、南北約5キロの中に平城宮に勤める役人らが住み、寺院や市(いち)が置かれ、中央にはメインストリートである幅74メートル、長さ3.7キロもの朱雀大路(すざくおおじ)が通っていました。その北端でつきあたるのが平城宮で、東西、南北とも約1キロの正方形に張り出し部分のついた区域の中に、天皇による政治や儀式が行われた大極殿院、その隣に天皇の居所であった内裏(だいり)などがありました。今でいうと皇居、永田町(国会)、霞が関(中央省庁)を合わせたようなところといえば分かりやすいでしょうか。巨大な大極殿の周囲を回廊で囲った大極殿院は、奈良時代の前半と後半で位置をずらして2度造営されており、復原されたのは奈良時代前半の第一次の大極殿です。

【復原工事中の大極殿院南門。雨風から守るため素屋根に覆われている。後方は大極殿】

特別史跡に指定された後、国営公園として整備されるに至った経緯を教えてください。

 1952年(昭和27年)には奈良国立文化財研究所(現・国立文化財機構奈良文化財研究所=奈文研)が設立され、現在も発掘調査・研究が続けられています。1978年(昭和53年)に文化庁が策定した整備基本構想に基づき、1998年(平成10年)には朱雀門と東院庭園が復原されました。東院庭園は、それまで実態が不明だった奈良時代の庭園が初めて発見されたもので、見つかった石組みの一部などをそのまま活かしながら池や建物、橋などが復原されています。
 発掘調査に関しては、奈良時代の役所の建物跡である遺構を発見当時の状態のままで保存・展示している「遺構展示館」や、奈文研の長年にわたる発掘などの調査や研究の成果を展示する「平城宮跡資料館」もあり、最新の成果に触れることができます。
 1998年(平成10年)には「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして平城宮跡がユネスコの世界遺産に登録されました。それらを受け、2008年(平成20年)に国営公園として整備する旨の閣議決定が行われ、それに基づき「古都奈良の歴史的・文化的景観の中で、平城宮跡の保存と活用を通じて、“奈良時代を今に感じる”空間を創出する」ことを基本理念に掲げ、平成20年度から国土交通省を中心として整備を行っています。
 保存整備は1964年(昭和39年)から文化庁と奈良県によって始まり、1970年(昭和45年)からは奈文研が担当、2001年(平成13年)からは文化庁が担当してきました。

野﨑さんの業務内容を教えてください。

 私は第一次大極殿院の南門復原工事の発注者(国土交通省近畿地方整備局)側の主任監督員として契約に基づく工程の管理、立ち会い、工事の実施状況の検査などを行いながら、受注者(清水建設)への指示や協議などを行っています。大変なことも多いですが、問題を解決した際の喜びはそれだけ大きく、やりがいがあります。後世に残る建物の建築に携われることがこの仕事の魅力です。
 これまでは、工事監督として、堺地方合同庁舎、裁判所、税務署、警察学校、ハローワークなどの国の建物に携わったほか、河川国道工事事務所・出張所の新築や耐震工事、国宝となっているキトラ古墳(奈良県明日香村)の壁画を保存管理・展示する「キトラ古墳壁画体験館四神の館」、体験学習で琵琶湖について学べる「水のめぐみ館アクア琵琶」の企画・設計・工事監督を担当するなど、さまざまな施設の建築に携わってきました。また、「道の駅」も数多く担当しました。

平城宮跡歴史公園で「これだけは見てほしい」というおすすめはありますか?

 第一次大極殿院の正面入り口となる建造物で現在、復原工事中の南門(なんもん)だけでなく、これまでに復原された大極殿や朱雀門の場所に立ち、それぞれを結んで見てほしいです。奈良市の地図で見ると東に東大寺、興福寺、春日大社などがあり、西に薬師寺、唐招提寺、西大寺があります。平城宮跡はその間にあり、以前はただの広場にしか見えませんでしたが、復原建造物が元にあった場所にできて、奈良の中心にあることが実感できるようになりました。朱雀門、南門、大極殿を結ぶ線を見てみてもらえれば、奈良時代、ここが日本の中心だったと感じてもらえると思います。
※後編に続きます。

プロフィール

のざき・ひろき 1961年生まれ、神戸市出身、大津市在住、一級建築士、一級建築施工管理技士。1985年に建設省(現国土交通省)に入省後、1995年の阪神淡路大震災の際には地元・神戸に転勤を希望して震災復興事業に従事、2019年から現職。現在、主に営繕工事・業務の発注に関する技術審査と、公共建築の保全指導に関する業務を担当し、現場では奈良時代を今に感じながら、平城宮跡第一次大極殿院の南門復原工事の監督業務に全力で取り組む。趣味は音楽鑑賞、映画鑑賞、建築物巡り。