宇宙港の日本誘致を実現へ!
宇宙エバンジェリスト青木 英剛
俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ
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宇宙港の日本誘致を実現へ!
宇宙エバンジェリスト青木 英剛
技術者からベンチャーキャピタリストへの転身という一見変わった経歴を持つ青木英剛氏。自らを「宇宙エバンジェリスト(伝道師)」と名乗り、日本の企業に宇宙ビジネスへの積極的な参入を呼び掛けている。そんな同氏へ宇宙に携わることになった契機や宇宙ビジネスの現状などについて話を聞いた。
宇宙に興味をもったきっかけや学生時代に学んだことを教えてください。
1992年に毛利衛さんがスペースシャトル「エンデバー号」に乗り込み、宇宙で活躍する様子をテレビで見て、当時中学1年だった私も宇宙飛行士を目指そうと決意しました。
そこで「理系の大学で学ぶ」「英語を話せる」「スキューバダイビングができる」「パイロットの訓練を受ける」など、宇宙飛行士になるための条件を自分でリストアップし、実現を目指しました。高校卒業後、単身で渡米しまして、大学、大学院で航空宇宙工学を学びながら、ロケットや宇宙機を設計し、パイロット免許も取得するなど、航空宇宙の世界にどっぷりとつかりました。アメリカはNASA(アメリカ航空宇宙局)の研究機関があり、宇宙開発の最先端です。宇宙飛行士や、戦闘機のパイロットなどの資格を持つ大学の先生が、自分の飛行機を持ってきて、学生の前で飛ばしたこともありました。日本では経験できない「本物に触れる」機会でした。
その後、三菱電機に入社したとお聞きしましたが。
宇宙飛行士になるには、修士終了後、3年間は研究開発に携わる必要があります。そこで、宇宙船や人工衛星の開発をするために、日本のトップ企業のひとつである三菱電機に入社し、宇宙部門に配属されました。気象衛星「ひまわり」や日本版GPS(衛星測位システム)など既存の技術やアプローチをベースに衛星開発を行う部署もありましたが、私の部署は、「宇宙の新規もの」に取り組むイノベーティブな部署で、誰もつくったことのない実験用の人工衛星の開発などを手掛けていました。印象に残っている仕事は、国際宇宙ステーション(ISS)への物資補給機「こうのとり」のプロジェクトです。当時、宇宙船と呼ばれるものをつくるのは日本で初めてで、そのメンバーの一人として、設計・開発、組み立て試験、打ち上げ、運用のすべてのフェーズに携わりました。
技術者から戦略コンサルティングやベンチャー投資事業の道に進んだのはなぜですか。
2009年から2010年ごろにかけて、日本のエレクトロニクスメーカーが軒並み業績不振となり、韓国や台湾、中国メーカーに追い抜かれそうになっていました。私は日本の企業が技術力は世界的に見ても優れているものの、ことビジネス面においては競争力が弱いのではないかと感じました。そこで、自分自身でビジネスのスキルを身に付けようと思い立ち、会社を退職し、慶應義塾大学大学院でMBA(経営学修士)を学びました。その後、戦略コンサルティングやベンチャー投資事業を手掛けるドリームインキュベータに参画して、モノづくりの大企業を中心にコンサルティングを行いました。折しもアメリカで宇宙ビジネスが流行し始めた時期で、興味を持っている顧客企業に新規事業としての宇宙ビジネスを提案するケースが多かったです。
コンサルティングを行っていく中で、「宇宙ビジネスを始めませんか?」というセールストークを投げかけ、アドバイスさせていただいた企業の多くが実際に宇宙事業に参入されました。当時は「宇宙開発」という言葉が一般的でしたが、私は「宇宙ビジネス」という言葉を使って顧客企業へアピールしていました。今では「宇宙ビジネス」は、国家戦略のひとつとして位置づけられており、感慨深いものがあります。
現在は「宇宙エバンジェリスト」という肩書で幅広く活動されていますね。
エバンジェリストは日本語に翻訳すると伝道師です。フランシスコ・ザビエルはキリスト教を世界に広めた伝道師でしたが、宇宙エバンジェリストは、宇宙ビジネスの可能性をさまざまな人たちに伝え、宇宙ビジネスを広めるのが使命です。宇宙を“自分ごと“のようにとらえて、宇宙を舞台にしたビジネスに積極的に参画してもらいたい。ひと昔前と比べて、今は宇宙が随分と身近になりましたが、技術やビジネスに関することは専門用語で紹介されていて、「やりたいんだけどどうやっていいのかがわからない」という経営者やビジネスパーソンがたくさんいます。では自分が「宇宙の歩き方」を紹介しようと、「宇宙エバンジェリスト」と名乗りました。そのミッションを果たすために設立したのが「一般社団法人SPACETIDE(スペースタイド)」です。スペースタイドでは、世界中から識者を招いて日本最大の宇宙ビジネスカンファレンスを開催したり、独自の宇宙業界レポートを発行するなどして、ビジネスパーソンに宇宙ビジネスの魅力を伝えています。このほかにも、宇宙旅行の際に必要になる宇宙港を日本に広めるために「一般社団法人Space Port Japan(スペースポート・ジャパン)」も創業しました。さらにベンチャーキャピタリストとして、宇宙ベンチャーに投資も行っています。
「スペースポート・ジャパン」の活動内容を教えて下さい。
宇宙飛行士の山崎直子さんら7人の有志とともに、2年前に創業しました。将来、本格的な宇宙旅行の時代が到来しても、日本に宇宙港がなければ、日本から宇宙旅行は行けません。そこで、日本に「宇宙港」をつくるために、大手企業やベンチャー企業、そして自治体の参加を呼びかけ、国土交通省を始めとした政府機関にもご協力を頂きながら活動を始めました。今年の6月には宇宙港ができたらどんなことが起こるかを具体的に示すパンフレットをつくって発表しました。例えばアメリカでは、宇宙旅行のサービスが来年から始まる予定ですが、既にFAA(連邦航空局)が承認した12の宇宙港があります。これに対して、日本にも空港はたくさんありますが、宇宙港はひとつもありません。JAXAが保有する種子島宇宙センターのロケット発射場には、滑走路やターミナルがなく、有翼型宇宙船の離着陸はできないのです。日本では現在、法整備の準備をしている段階ですが、まずは、既存の空港をできるだけそのままスペースポートとしても活用してもらうのが実現の近道だと思っています。
大分空港が初の水平型宇宙港として名乗りをあげていますね。
大分空港は、ヴァージン・オービット社(本社・米ロサンゼルス)の「スペースポート」としてアジアで初めて選ばれました。早ければ2022年にも打ち上げが始まる見通しです。候補地の選定には、スペースポート・ジャパンも協力しました。アメリカでは、FAA内に商業宇宙輸送局があり、さらにスペースポート専門部署もあります。宇宙空間を経由した二地点間飛行が始まれば、日本とアメリカを2時間もしくはもっと短い時間で結び、日帰り出張も可能となりますが、その時のアジアのハブ空港、そして国際的なビジネス拠点として日本に誘致したいと思っています。10年、20年先を見据えたプロジェクトですが、政府や企業と連携し、宇宙港の整備についてスピード感を持って進められたらと考えています。先日、沖縄県の下地島空港も宇宙港の候補地として発表がされ、スペースポート・ジャパンとしては、今後も複数のスペースポートの整備を支援していくつもりです。
※後編に続きます。
プロフィール
あおき・ひでたか 宇宙ビジネスおよび宇宙技術の両方に精通したバックグラウンドを活かし、「宇宙エバンジェリスト」として、宇宙ビジネスの啓発、民間主導の宇宙産業創出に取り組む。アメリカで工学修士(航空宇宙工学)とパイロット免許を取得後、三菱電機で日本初の宇宙船「こうのとり」を開発し、多くの賞を受賞。ビジネススクールを経た後、宇宙ビジネスのコンサルティングに従事し、現在はベンチャーキャピタリストとして世界中の宇宙スタートアップを支援中。内閣府の宇宙政策委員会の宇宙産業振興小委員会委員など政府委員やJAXA委員会の委員を歴任。「一般社団法人SPACETIDE」共同設立者、「一般社団法人Space Port Japan」共同設立者兼理事。