トリ・アングル INTERVIEW
俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ
vol.24
温故知新!先人達が作ったレガシー
明治維新以降、この150年以上の間に政治・経済・文化などあらゆる分野が当時の人々の想像もつかないようなスピードで進歩してきた。しかし、現在でも連綿として受け継がれているモノは数多い。例えば、私たちは当たり前のように洋服を着たり、カレーライスやパスタなどの洋食を食べているが、この風習は明治維新後に取り入れられたものであり、大正時代に建築された赤坂迎賓館は現在においても、各国の国王や大統領を迎え、外交活動の華やかな舞台となっている。
また、2021年には幕末から昭和初期にかけて官僚や実業家として活躍し、「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一を主人公とした大河ドラマが放送予定であるなど、近代史が注目を集めている。 そこで、近代から現代に至る歴史や文化などをソフト・ハード面から振り返り、未来にどう展開していくか探る。
後編
迎賓館とともに歴史と文化の継承を
公開日:2020/12/22
内閣府迎賓館総務課
営繕専門職
藤原 敦子
後編
1909年(明治42年)に誕生した迎賓館赤坂離宮は、当初は東宮御所として、日本の建築技術の粋を集めて建設されたが、その後、外国からの賓客をもてなす施設として大改修を行い、迎賓館として生まれ変わることになった。改修当時のエピソードを通じて、国の建設技術者の役割と重要性を探ってみた。
これまで赤坂離宮を訪れた要人のエピソードをお聞かせください。
1922年(大正11年)4月にエドワード英国皇太子が国賓として来日した際、赤坂離宮に宿泊されました。その際、随員5人も赤坂離宮に宿泊しましたが、あとの随員は帝国ホテルに滞在しました。ところが来日して5日目に帝国ホテルで火災が起きて全焼したため、随員全員が赤坂離宮に宿泊することになったそうです。
また、1935年(昭和10年)4月と1940年(昭和15年)6月の2度にわたり満州国皇帝・溥儀が来日し、宿泊しました。
外国の賓客で戦前に宿泊されたのはこの二人だけです。
迎賓館赤坂離宮となってからのエピソードとしては、敷地内に記念樹を植えられた三人について、最初は1974年(昭和49年)の11月にアメリカのフォード大統領が来日した際にアメリカハナミズキを植えられました。2人目は1975年(昭和50年)の5月にイギリスのエリザベス女王陛下によってブラウンオークが植えられました。ブラウンオークはウィンザー城の庭園より空輸されたものでした。3人目はソビエト連邦のゴルバチョフ大統領によってフユボダイジュが植えられました。どれも庭園内に現在もありますので、参観の際には探してみてください。
赤坂離宮を迎賓館に再生した改修工事について教えてください。
戦後、日本は国際社会の一員として外国の賓客を迎える機会が多くなりましたが、当時はこうした人たちをお迎えする国の施設がありませんでした。そこで、赤坂離宮を国の迎賓施設へと再生させるため、1968年(昭和43年)から大改修工事をスタートしました。本館の改修に当たっては、日本芸術院会員の建築家である村野藤吾に、新設する別館の設計は、同じ日本芸術院会員の建築家、谷口吉郎に依頼しました。当時の赤坂離宮は長い年月と戦争を経て、銅板屋根が腐食して雨水が室内に漏水したり、、室内の裂地類は破れて塗装や金箔の部分ははげ落ちたりしていたようです。またほとんどの天井絵画は、絵具が劣化して剥落し亀裂が入っていたと記録にあります。多くの破損箇所を直し、日本で初めての迎賓施設にするために、どのように改修するかを一から考えることは本当に大変だったと思います。5年間の改修工事を経て、1974年(昭和49年)に迎賓館として開館しました。
この後も改修工事が行われ、2009年(平成21年)までの3年間で木製建具、石膏レリーフ、金箔、給排水衛生設備や空調設備、通信設備、耐震補強などの大改修を行いました。直近では2019年(平成31年)に朝日の間の改修を、2020年(令和元年)には中庭に面した外壁改修を行いました。
【赤坂離宮を迎賓館へ改修するに当たっては、文化財的価値を保存しつつ、賓客が快適かつ安全に宿泊でき、かつ、公式行事が行えることなどを基本方針とした。】
藤原さんが迎賓館で行っている業務や迎賓館を保全するための取組みを教えてください
大規模な改修工事は全て国土交通省官庁営繕部(以下国交省)に工事を委任していますので、迎賓館では委任するための予算要求や予算事務手続き、工事中の迎賓館内の工程調整・連絡を担っています。「朝日の間」の改修では、工事と共に天井絵画についても国交省に委任して修復をしていただきましたが、その朝日の間の工事で工藝美術の分野に携わった方へ顕彰を行い、年々減少している職人の将来の担い手確保に繋げるための取り組みをされています。
なお、現在は館内建物や構内の改修を実施していただいております。
迎賓館では小規模に限定されますが、工芸美術の分野の金箔修繕、伝統建築の分野では銅板葺き屋根や左官塗り壁の修繕を、その他施設全般の不具合に関する維持修繕や改修工事を実施しています。
このように迎賓館と国交省は車の両輪となって迎賓館の維持・保全にあたっています。
【2019年に公開された「朝日の間」の天井絵画などは約2年の歳月をかけ改修された。】
今後どのようなメンテナンスを行う予定ですか?
令和3年には、迎賓館の北側外壁の一部分がひび割れて劣化が進行しているところの応急処置の改修を行います。来年度には迎賓館全体の中長期改修計画の策定を行う予定にしています。この策定を進めるにはやはり国交省のご協力をいただかないと進められないと考えております。
その他将来的には、明治期に制作された銅板製の装飾品(屋根に載る鎧武者、天球儀、屋根バルコニー飾り等)の修復を検討していきたいと考えています。これは建設時、石膏模型をフランスで作らせて輸入し、それをもとに日本で木型を起こしたものに銅板をあてて、叩いて作られたものです。これらの装飾品は創建時からのままになっており大変貴重なものですが、半田の劣化や腐食が徐々に進行しておりますので今後修復が必要と考えております。たとえば、3Dスキャナーを使って立体データを作成し、型の原型を作れないかなどさまざまな方向から改修を構想しています。
歴史は残していくべきものです。今の技術でも難しいものを明治期にどうやって作ったのか後世の人達へきちんと伝承していくために、じっくりと取り組んでいきたいと思います。
また、昭和49年の開館時に整備された家具や装飾品類の修復も進めていきたいと考えております。その一つに建築家の村野藤吾の意向により設置された暖炉前スクリーンがあります。スクリーンには有名な日本画家の作品の部分が染色技法で模写されています。
このスクリーンに採用された絵画の原画とその所蔵元を確認しているところですが、尾形光琳のキリシマツツジと酒井抱一の連翹桜草については手がかりがみつかりません。読者の方で下記画像の原画とその所蔵元をご存知の方は、迎賓館代表電話(03-3478-1111)まで情報提供いただきたく、よろしくお願いいたします。
【尾形光琳 キリシマツツジ】
【酒井抱一 連翹桜草】
最後に読者へのメッセージをお願いします。
迎賓館では、賓客の接遇に支障がない時期には一般参観を行っており、事前にお申し込みいただかなくても参観することが出来ます。(和風別館は事前予約制になります。)
HPや公式SNS上でも当館の魅力を発信しておりますので、ぜひご覧いただければ幸いです。
そして、100年以上前に、建築技師や芸術家や職人たちが叡智(えいち)を結集して作り上げた建物を実際に皆様にご覧いただき、空間を体感していただきたいと思いますので、どうぞ迎賓館までお越しください。
なお、前庭部分のLED化改修が完了する翌日の今月24日(木)~26日(土)の3日間、夜間公開が開催されます。新たな灯で前庭を柔らかく照らします。夕暮時から暗闇にかわるまでの時間が特におすすめですので、お楽しみください。
迎賓館の退出口の正門の向かいの敷地には、迎賓館赤坂離宮前休憩所がこの6月にオープンしておりますので、あわせてお寄りいただけます。閉館時間は迎賓館と同時刻になりますのでご注意ください。(了)
後編