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トリ・アングルINTERVIEW

俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ

vol.3自動運転時代、移動はどう定義されるのか?

公開日:2019/1/18

A

[ 後編 ]

乗客視点でのパラダイムシフト

デザイナー原 研哉

自動運転車が登場する未来は、車の役割や移動のあり方も大きく変わるとデザイナーの原研哉氏は予想する。そうした時代には、都市の構造や交通に関する社会ルールも変革を求められるのではないか。どんな可能性があるかを聞いた。

自動運転時代には、なんらかの新たなルールが登場するのでしょうか。

 「はじまりは自動運転の循環バスのようなものでしょう。無人バスでは、乗客にマナーを呼びかけることも保守・点検などの安全確保も係員にはできない。利用者によって新たなモラルが醸成されていくでしょう。無人のタクシーも同じです。事故を起こさない安全な運転制御も大事ですが、清潔さを保証することもサービスの上では重要なポイントです。管理側も利用者も、ルールを守れない人は利用できない。つまりゆるやかな相互監視の仕組みが必要になると思います」
 「僕はこのマナーという点で、日本の社会の持つ美意識に期待しているのです。日本人には『緻密』『丁寧』『繊細』『簡潔』を旨とするプリンシプル(基本原理)があります。これは自動運転車がスムーズに走り回る社会を助けるのではないかと思います」
 「たとえば、日本の都市の夜景は世界的にも大変にきれいです。その理由は壊れかけて明滅していたり、切れたまま放置される照明がほとんどないからです。整然とした灯りが異様な深度をもって展開し、夜景をなしている。これが自然に出来るのが日本なのです。あるいは、東京駅の丸の内口広場の路面の精度は素晴らしい。雨水処理の水勾配や、歩道の段差など丁寧に設計され尽くされている。こんなに精密な道路は世界のどこにもない。自動運転社会が緻密に運営され、同時に清潔・快適であるには、こうした日本の特性が役立つと思うのです」

利用者にとっては、どんな変化があるでしょう。

 「利用者が『運転モード』を選べるようになるかもしれません。『早く到着したい』とか『車内で仕事をするから、ゆっくり1時間かけて移動したい』など、希望に応じて多様な移動モードの選択が可能になる。利用者のリテラシー、つまり自動運転車を使いこなす能力も成熟していくだろうと思います」
 「意外かも知れませんが、利用者は新たに『監視』されることになるかもしれません。いまの車の中は一般にプライベート空間だと認識されていますよね。しかし電車の中は公共的な空間なので、車内カメラで記録されても不思議はない。マイカーではない自動運転車の車内も、公共空間に類する扱いが求められる可能性があります。移動の概念が変われば、そういうこともあるわけです」

【都市や自動車のカタチが変わる】

未来都市と道路の様相を見立てたイメージ。穴の書いた部分は建築、残りは交差点のない道路(日本デザインセンター提供)

交差点や信号の形は、どうでしょう。

 「人間は四角や直角を好みますが、四という数理は不安定なので自然界では四角形はあまりありません。ハチの巣やクモの巣は六角形です。人間が四角を好むのは、自らの体が左右対称であることと、重力が生む垂直と水平に特別な意識をはらっているからかもしれません。古代から人は四角く区画した街をつくり、四角いビルを建てて生活しています。部屋も窓も家具もパソコンも、紙もみな四角です。だから道路にも交差点ができてしまう」
 「一方で人間は、普遍を内在するかのような円という形も好みます。自動運転が普及して移動の合理性が都市計画や道路にも及んだときに、都市や道路の発想は、今とは全く異なるかもしれません。大変興味がありますね」

ところで、原さんが未来の自動車のイメージとして描かれたスケッチは、丸っこくて柔らかそうに見えます。いずれ自動車のデザインも大きく変わりますか。

 「以前、ある自動車メーカーとのコラボレーションで『笑う車』の動く模型を制作したことがあります。ハイテク繊維を使えば柔らかい車ができる。そうなると車も微笑むことができる。クラクションは、いわば“怒り”の表現です。もしも車がすれ違いざまに微笑みあえたら楽しいなと考えたのです。また別の展示作品ですが、動物の毛皮のように、長い毛が生えた車で、ヘアスタイルが変えられるというのもありました」
 「鉄でできている自動車には、デザイン上の制約がありますが、ぶつからなくなるなら車は柔らかくていい。しかしその前にまず、車からは運転席がなくなります。僕のスケッチはそういうものです」

ご自身でデザインしてみたいですか。

 「どうでしょうか(笑)。おそらく空気や水をデザインするようなものになるのではないかと思います。あえて僕がデザインをしたら、いわゆる“車好き”がデザインするものとは全く違うものになるでしょう」(了)