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トリ・アングルINTERVIEW

俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ

vol.24温故知新!先人達が作ったレガシー

公開日:2020/12/22

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[ 前編 ]

明治期の最高峰建築を支える技術と人

内閣府迎賓館総務課営繕専門職藤原 敦子

迎賓館赤坂離宮は1909年(明治42年)に誕生した日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋宮殿である。当時の最新技術や流行を取り入れ、日本の建築、美術、工芸界の総力を結集した明治期の近代洋風建築の頂点ともいえる建造物だ。当初は東宮御所として建設されたが、第二次世界大戦後日本が国際社会の一員として活躍するようになったことを受け、迎賓施設としての需要が高まった。そこで大規模改修を経て、1974年(昭和49年)に迎賓館として開館し、その後、2009年(平成21年)に国宝に指定され現在に至る。同館の管理・営繕を行っている内閣府迎賓館の藤原敦子氏に、赤坂離宮の建築様式や工芸美術の魅力などについて話を聞いた。

ネオ・バロック様式とはどのような建築様式でしょうか?

 ベースは17世紀の美術・建築様式であるバロック様式で、楕円や動きのある形で、日常から離れた次元に人を誘う劇的な表現が特徴です。その後、19世紀末に欧米で流行したのがネオ・バロック様式で、多様な基本様式をバロック化し、豪華にデザインしたものです。   
 東宮御所の建設に当たり、明治期の国家を飾る宮殿建築に相応しい様式として採用されました。
 外観を見ていただくと、建物の左右両翼を大きく湾曲して前方に張り出している設計や建物の中央部屋根に阿吽(あうん)の鎧武者、両脇の屋根には天球儀を配置してあるところなどにネオ・バロック様式を感じられます。

【迎賓館赤坂離宮は日本では唯一のネオ・バロック様式による宮殿建築物】

※迎賓館赤坂離宮より提供

建設に当たり著名な建築家や専門家などが集結したそうですね。

 総指揮を執った建築家の片山東熊(かたやま・とうくま)は、1877年(明治10年)に来日していた英国人建築家で、工部大学校(現東京大学)の造家学科教授であるジョサイヤ・コンドル博士の直弟子です。1879年(明治12年)に工部大学校造家学科の1期生として卒業し、殖産興業を担当する工部省の技師となり、各地の離宮、宮廷、華族邸、博物館などを建てました。代表的な建築作品に京都国立博物館、奈良国立博物館、東京国立博物館表慶館などがあります。1896年(明治29年)には東宮御所御造営調査委員となり、1904年(明治37年)には宮内省内匠頭(たくみのかみ)に昇進しています。これ以前には、技術職のなかで内匠頭という地位についた人物はおらず、宮廷建築家として最高の地位についたわけです。
 東熊の元には、東宮御所建築の命を受け、さまざまな方面の専門家が動員されました。室内装飾では東京美術学校教授である黒田清輝、七宝焼きの下絵は1883年(明治16年)にアムステルダム万国博覧会で銀賞を受賞し、皇居造営で天井絵も描いた日本画家の渡辺省亭(わたなべ・せいてい)、七宝焼き制作は1893年(明治26年)にシカゴ万博に七宝額を出品し激賞された濤川惣助(なみかわ・そうすけ)、装飾用タペストリーの原画は京都高等工芸学校教授の浅井忠などそうそうたるメンバーが携わりました。

この建築物の技術の素晴らしさを教えて下さい。

 どこをとってもすごい技術だと思っていますが、石の外壁を組んで固定する技術、石に彫刻する技術、木製窓の加工取り付け技術、銅板葺き屋根や銅製飾りの加工技術、工芸美術の粋を集めた室内調度品など、枚挙にいとまがありません。この建物自体は宮殿建築ですが、彫刻などの装飾には我が国独特の主題が採用され意匠的にも高い価値を持っています。

【各部屋の装飾には和の要素が散りばめられている】

※迎賓館赤坂離宮より提供

 また、設備面では蒸気暖房や我が国初めての自動温度調節装置付き温風暖房が採用されました。このように当時としては最新の構造・設備を採用したため、1923年(大正12年)の関東大震災でもほとんど被害を受けなかったようです。当時の先端技術や最高の工芸美術の技を持つ者らが全国から結集して作り上げたということは本当に意義のあることだったと思っています。

参観者に人気のある部屋や工芸品など教えてください。

 一番人気があるのは「朝日の間」です。要人の表敬訪問や首脳会議の開催、また国賓が天皇・皇后両陛下とお別れの挨拶をする時に使用するもっとも格式の高い部屋です。天井には朝日を背にした女神の絵画があり、この部屋の名前の由来となっています。

【迎賓館で最も格式の高い部屋「朝日の間」】

 床に敷かれている手織りの緞通(だんつう)には桜の花の絵がちりばめられていますが、これは女神の天井画の縁に描かれている桜が床に散ったということをイメージしています。以前は寄木床のままでしたが、1974年(昭和49年)から建築家の村野藤吾の発案で緞通が敷かれるようになりました。重さが500㎏もあり、改装などで一時撤去する必要があるときなど、職員が20人がかりで巻いて運びだすこともあります。周囲の壁には、京都西陣製の紋ビロード織の壁裂地が8枚張られておりますが、この紋ビロード織は全て手織りの大変手の込んだものです。ドレープカーテンの裂地も同じく京都西陣製の紋ビロード織でこちらは一部機械織りですが、裂地を織り上げるだけで15か月かかっています。ドレープカーテンの柄は見え難いですが、椅子の裂地の柄とおそろいになっています。いすとテーブルは創建時のものを修復したものですが、脚部や手すりなどの部材は全て金箔貼り仕上げです。

【桜花をモチーフにした緞通は47種類の糸を用いて日本風の繊細なぼかしを表現】

【創建時の図案で復元制作された紋ビロード織の美術織物】

※迎賓館赤坂離宮より提供

 次に、晩餐会が開かれる「花鳥の間」にも見所があります。創建時はフランスなどからの輸入の装飾品がほとんどだった中で、この部屋に飾られている30枚の七宝は渡辺省亭の下絵で濤川惣助が焼成したものです。四季の草花と鳥が描かれています。

【日本画特有の濃淡やぼかしの表現技法が見事に再現されており、七宝の最高傑作と謳われている】

 私はこれらの七宝作品の原画の素晴らしさや無線七宝の柔らかな色彩や艶のある質感に魅力を感じ、とても好きです。天井の絵画にも花鳥や鹿、イノシシなどが描かれていますが、こちらはフランスの工房によるものです。「花鳥の間」では和と洋の花鳥の感性の違いが感じられます。

【格子形に組まれた天井には、油彩画24枚と金箔地の小さな油彩画12枚が張り込まれている】

 この他にはシャンデリアも是非見てほしいです。「花鳥の間」のシャンデリアは館内で一番重くて1125㎏もあり、球形スピーカーが組み込まれています。

【重厚な雰囲気に包まれた「花鳥の間」はかつて「饗宴の間」と呼ばれた】

 また、「羽衣の間」はかつての舞踏室です。やはり天井画が部屋の名前の由来となっています。日本の謡曲「羽衣」の一節をフランスの画家が描きました。大空が描かれ天女が地上に舞い降りた気配を表現していますが、なぜか肝心の天女の姿がありません。これは、舞踏会で、天井画の下で踊る婦人達を天女にみたてたためといわれています。「羽衣の間」のシャンデリアは、1基あたり7,000ものパーツを使用しており、大きさでは館内一です。
※後編に続きます。

【輝く装飾の中には洋風の仮面や楽器など、舞踏室にふさわしいモチーフが散りばめられている】

プロフィール

ふじわら・あつこ 1973年生まれ、広島県出身、一級建築士。1994年に建設省(現国土交通省)に入省後3年前から現職。明治と昭和に思いを馳せながら迎賓館赤坂離宮の施設の維持・保全に全力取り組み中。趣味は美術品鑑賞、建築物巡り、庭園散歩。