トリ・アングル INTERVIEW
俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ
vol.26
伝統の灯を消すな!無形文化遺産
2020年12月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、日本の宮大工や左官職人らが継承する「伝統建築工匠(こうしょう)の技 木造建造物を受け継ぐための伝統技術」を無形文化遺産に登録することを決定した。建造物そのものだけでなく、それを支える技術を登録することで、国際社会での無形文化遺産の保護の取り組みに大きく貢献することが評価された。国内のみならず、世界に日本の伝統工芸技術を発信することで、いかにして後継者不足を克服し技術を継承するべきかを探る。
前編
日本の伝統を次の世代へつなぐ
公開日:2021/2/19
株式会社和える
代表取締役
矢島 里佳
前編
「日本の伝統を次の世代に伝えるには、幼少期から職人の手仕事に触れられる環境を創出することが大切だ」。そう信じた一人の大学生が起業し、子どもたちの日用品を日本全国の職人と共につくる“0歳からの伝統ブランドaeru”を立ち上げた。起業から10年目。株式会社「和(あ)える」の矢島里佳代表は、日本の伝統産業が秘める可能性に対する確かな手ごたえを感じている。
職人の技術と地方の魅力に興味を持ったきっかけを教えてください。
中学・高校時代に所属していた茶華道部の経験が大きいと思います。茶室で伝統工芸品に囲まれた経験を通し、日本の伝統を生み出す職人に対する興味関心を持つようになりました。また、幼稚園では陶芸の時間があり、モノづくりの面白さや不思議さを体験しました。両親や幼稚園の先生たちに大切に見守られ、感性が育まれたことについて、とても感謝しています。私の感性の原点は乳幼児期にあり、中学・高校時代の茶華道部の体験でそれが磨かれ、大学に入り、言語化することによって、自分が目指す理想や目的にたどり着くことができました。
大学時代、日本の伝統文化・産業の情報発信の仕事を始めたきっかけや動機は何ですか?
19歳のころから、日本の伝統産業をテーマにした情報発信を始めたのは、将来はジャーナリストになりたいと思っていたからです。小学生のころから、伝えるという行為が自分の軸になっていました。幼少期の頃の陶芸体験などを通し、見聞きするだけでなく、自分の目で確かめ、体験したいという気持ちを強く持つようになったと思います。地方を巡り、職人の方々に会い、話を聞き歩いたのも、何を伝えるべきかを探していたような気がします。そして、旅を続けるうちに、日本の伝統を生み出す人たちのことを伝えることと、探していた「自分がやるべきこと」が重なったのです。会社を立ち上げ、社長になった今でも、現場主義を大切にしています。
地方を巡る旅の中で、何を見つけたのですか?
取材した職人さんの多くは、自然への感謝の気持ちを持ちながら、「人間が支配しているのではなく、自然界の中で生かされている」という感覚をもって、自然を生かした伝統産業品づくりに向き合っていました。取材を続けているうちに、私たちの暮らしを豊かにしている伝統産業品とともに、それを生み出している職人さんのお人柄に惹かれ、心を動かされました。私たちの身近にある工業品は、新品の時が最も良い状態で、使っているうちに劣化していきます。「伝統産業品は買った時が一番良いのではなく、使いながら育てていくもの」という話を聞いて、見るだけではなく、実際に使ってみたくなりました。学生なのでお金もありませんでしたが、取材費を伝統産業品の購入費にあてて、実際に家で使っているうちに、暮らしが豊かになっていくという実感を得ることができたのです。私は偶然、伝統産業品に出会うことができましたが、今の社会では、そういう機会は減っています。伝統産業品の良さを伝えるというより、出逢うきっかけを伝えたいという気持ちが強くなりました。そして、きっかけを見つけた人たちが、その後、どのような行動を取るのかにも関心がありました。
【青森県弘前市の津軽焼職人との出会い】
大学4年時に創業、日本の伝統を伝えるジャーナリストという仕事を生み出しました。
伝統産業品の魅力は、文章だけでは伝えきれないと感じたのです。例えば、取材で購入した萬古焼(ばんこやき)の急須は、お茶がこぼれないように注ぎ口の設計が完璧になされていていました。見た目が美しいうえに、考え抜かれた使いやすさを兼ね備えています。言葉で伝えるよりも、モノを届けることを介して、この感覚を伝えることが、新しい形のジャーナリズムではないかと思ったのです。大学時代の3年間の取材と、持ち帰った伝統産業品を使った暮らしが、株式会社「和える」を立ち上げる原動力になりました。
乳幼児期から伝統産業品の良さを伝えるビジネスモデルです。その狙いは?
モノを通して伝えることは決めましたが、誰に対して伝えるのかも重要でした。「和える」が、赤ちゃんや子どもたちのモノを提供しているのは、私自身がその時期に、両親や周りの人たちに五感を育んでもらったことが強く影響しています。感性や価値観が広がっていく敏感な時期に、日本の伝統産業や文化に出逢ってもらうこと、触れてもらうことが、一番だと思いました。日本の伝統を次の世代に伝えるために、赤ちゃんから始めるというのは、遠回りのような気がしますが、急がば回れで、子どもの頃に身に付けた感性が、文化を楽しんで生きていくライフスタイルの醸成に繋がり、そういう日本人が増えると信じています。
“0歳からの伝統ブランドaeru”第一号商品の『徳島県から 本藍染の 出産祝いセット』
10年が経過し、ユーザーの反響はどうですか?
離乳食から器を使ってくれている子どもたちが、その後も使い続けてくださり、壊れても「お直し」して使う精神性を体感してくれています。「自分の子が使って良かったから、友人に贈りました」、というお客様との「共創」も広がっており、とてもうれしく思っています。「和えるっ子」たちの人生の価値観の中に、私たちが生み出したものが影響を与えていると実感できたときが、「事業をやっていてよかった」と思える瞬間です。“0歳からの伝統ブランドaeru”に、年齢制限はありません。今日生まれたばかりの赤ちゃんも、100歳のおじいちゃんおばあちゃんにも使っていただける、そんなブランドを目指しています。
※後編に続きます。
前編