トリ・アングル INTERVIEW

俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ

vol.40

令和の橋は何をつなぐのか?

インフラとして非常に重要な役割を任う「橋」。その一方で、絵の題材、映画や小説の舞台、観光スポットなどとしても、昔から世界的に人気があります。それは姿の美しさだけでなく、「川や谷などの障害を越え、異なる場所と場所とをつなぐ」という橋本来の役割に、私たちがドラマを感じてしまうからなのかもしれません。人、文化、希望、未来……と、いつの時代もさまざまなものをつないできた橋。令和の今、改めてどんな役割を担うのか、近年課題となっている老朽化の問題も含めて、橋との関わりの深い方々にお話をうかがいました。

Angle A

後編

遊び心に満ちた橋が新たなランドマークに

公開日:2022/12/19

作家・ドイツ文学者

中野 京子

高層建築がなかった昔は、橋は唯一のランドマークとして親しまれていたそう。たくさんの人が利用する橋には悲喜こもごものドラマが生まれました。そして現在も人々の興味をかきたてる橋が世界中に架けられています。遊び心に満ちたアイデアで新たな観光名所になった橋、技術の粋を結集した橋など、さまざまに紹介いただくとともに、橋の楽しみ方も教えてもらいました。

日本とヨーロッパの橋に共通する点を教えてください。

 世界各地にも見られますが、やはり2つの異なる世界をつなぐという考え方です。とりわけ人ならぬ存在を信じることにおいて、ヨーロッパと日本は似通っています。例えばヨーロッパには「悪魔の橋」や「魔橋」と呼ばれる古い橋が数十もあります。人の手では造れないような危険な場所に架かっているからですが、種明かしをすると、それらはほぼローマ帝国時代に建てられた橋なのです。
 古代ローマにおいて橋の建築家は「大技術者」として非常に尊敬され、また尊敬されるにふさわしい途方もなく優れた土木建築技術を身に付けていたそうです。しかし宗教に重苦しく覆われた中世社会に入ると、建築家は単なる職人と貶められるようになったため、人材が枯渇し、技術が継承されなくなったようです。これではまずいというので、橋づくりを担ったのが司祭です。中世の司祭は一番のインテリ層で、この人は医者、この人は建築家といった風にそれぞれが専門性を帯びて活動していました。「神」に仕える司祭から見て、とても人間では建てられない技術だと思ったから、悪魔が造った橋と見なしたのでしょう。

橋に限らず、技術の継承が途切れ、現代では人間業とは思えないものって確かにありますね。

 一方、日本には、橋の中央が大きく太鼓のように盛り上がった「太鼓橋」と呼ばれる橋があります。とても歩きにくいのですが、あれは神を通すための橋という説があり、事実、太鼓橋は神社の境内に多く見られます。特別なとき以外は人が渡らないよう、橋を「結界」にしているのですね。
 世界遺産の石見銀山には、太鼓橋と同じくらい異様に曲がった「反り橋」が3つ並んで架けられています。そばに普通の平たい橋があるので、人を通すためでないことは明らかです。石見銀山では過酷な銀の採掘作業により、たくさんの貧しい労働者が命を落としました。だからあの3つは「鎮魂」のための橋なのです。恨みを残して亡くなってしまった者は、仏あるいは神として祀って鎮魂しなければならない。日本人はやはりそう考えます。人ならぬ存在を意識するのは同じでも、向きあい方が異なるのが興味深いですね。

石見銀山の「反り橋」(島根県)

現代人には想像もつかない感覚です。

 もうひとつ、今の私たちがピンとこないのが、かつて橋はどの国でも唯一のランドマークだったということです。今は高層建築がたくさんあるから目立ちませんが、昔は高い建物は、ヨーロッパでも教会くらいしかありませんでした。ですから待ち合わせ場所といえば橋ですし、道に迷ったときの目印にもなる。
 橋は2つの異なる世界をつなぐだけでなく、大勢の人が行き交う場所。人生の困難さや、乗り越えなければならない試練、また転換点の象徴であり、出会いと別れの場です。幸につけ不幸につけドラマが生まれやすいのです。

著書では橋をインターネットにも喩えられています。

 日本昔話の「味噌買い橋」の話ですね。夢で「味噌買い橋に行けば、耳よりな話が聞ける」と告げられた2人のうち、1人はチャンスをものにして貧しい境遇から富豪の身となり、もう1人は運を逃がしたことにすら気づきませんでした。さまざまな人間が通行し、必然的に大量の情報が交換される橋は、現代のインターネットの役割にも似ていると思います。氾濫する情報の中から有益なものを正しくキャッチできない者は、運命を切り拓くことができないという点も同じです。

今でも橋は、ランドマークとして機能するのでしょうか。

 もちろんです。新しくできた橋でいうと、2013年に開通したベトナム・ダナンのロン橋がすっかり観光名所になっています。ロン橋よりも「ドラゴン・ブリッジ」の愛称で親しまれていますが、なぜなら橋の中央分離帯に、巨大な龍のオブジェが波打つように設置されているからです。夜になると全身がカラフルにライトアップされ、とどめは口から火を噴く圧巻のアトラクション。遊び心満載の橋で、週末は交通規制が敷かれるほど国内外から観光客が押し寄せています。

火を噴く「ドラゴン・ブリッジ」ことロン橋(ベトナム・ダナン)

 2011年にできたオランダ・ハルステンのサンクン橋は、世界で唯一、濠の底に架けられた橋です。遠目には人が橋を渡っているようにはとても見えず、水をかきわけて歩いているのかと驚くでしょう。周囲の景観を損なわないため水面下に架けたそうですが、「面白いから」という遊び心もきっとあったはずと睨んでいます。また本物の川をまたぎ、高架に運河間を結ぶ船が航行するマルデブルク水路橋は、技術大国ドイツの力を知らしめる出来栄えです。エッシャーのだまし絵のようなシュールな光景が話題を呼び、観光スポットとしても人気を博しています。

二本の川が直角に交叉するマクデブルク水路橋(ドイツ・マクデブルク)

 もともと橋づくりはアイデアの宝庫で、世界の橋はどれも非常に意匠に凝っています。イギリス・ロンドンのローリングブリッジなどは、時間が来ると歩行者専用の橋が水車のような装置にくるくると巻き取られ、橋の奥側から船が出入りします。簡単には思いつかない構造で、見ていてとても面白いですね。

日本の橋も、もっと遊び心が必要ですか。

 そうですね。観光スポットとしても楽しめるような橋をもっと造れば、世界中から人が来るんじゃないでしょうか。私が早稲田大学の理工学部で教えていたとき、建築学科の先生が学生には橋が一番人気だと言っておられました。橋を造りたいという学生がすごく多いんだそうです。公共のインフラ建造物に自分の名前が刻まれてずっと残るという魅力もあるでしょうが、やはりモノづくりとして橋は面白い、腕の奮い甲斐があるのだと思います。フレッシュな発想と進化し続ける技術力で、ぜひ素敵な橋を架けてほしいですね。

いろいろなお話をうかがって橋を見る目が変わった気がします。

 『怖い橋の物語』の読者からの手紙でも、先ほどの味噌買い橋について、「うちの近所にあって変な名前だと思っていたが、そんな面白いエピソードがあったとは知らなかった。改めて愛着が湧いた」という感想をいただいたのが印象に残っています。普段何気なく渡っている橋にも、隠れたエピソードがあるのかもと思いをめぐらすのってやはり楽しいですよね。
 観光に行っても橋の由来を知ると興味が倍増します。特に古い橋にはかならず歴史があります。私も例えば、かのマルコ・ポーロが「東方見聞録」の中で絶賛したことから、ヨーロッパの人々にはマルコ・ポーロ橋と呼ばれた中国の美橋の正式名称が「盧溝橋」と知ったときにはゾクゾクしました。中国最古の石造りアーチとして現存し、観光名所になっている橋は、日中戦争につながる盧溝橋事件の舞台でもあったのです。
 新しい橋でも、建て替える前には何かあったのかもしれない。日本の橋は割と落ちたらしいから、人柱を捧げたこともあるかもしれない。また日本の橋には傍らによく道祖神が祀られていますが、結界の役割を担うとされる道祖神は、どんな災禍や魔を防いでいるのか。橋の下もまた異界なのか、などなど、興趣は尽きません。橋をめぐるさまざまな物語を知ることにより、さらに身近な存在として親しんでもらえたら嬉しいですね。

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