トリ・アングル INTERVIEW

俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ

vol.38

地図から読み解く時代の流れ

スマートフォンの普及などにより、地図の在り方が大きく変わりつつあります。目的地へのナビゲーションも一昔前は紙の地図帳頼りだったのに、今では目的地周辺のお店の情報までわかったり、バリアフリーのルートを探せたり。人流、気象など、さまざまな情報と掛け合わせられるサービスもあれば、アートとして地図を捉えてまったくの架空の街の地図を描くなど、地図の活用方法も楽しみ方もどんどん拡がっています。ここで紹介する地図に関わる方たちの話から、あなたも新しいビジネスのヒントが見つかるかもしれません。

Angle A

前編

もうひとつの「現実の街」を描く空想地図

公開日:2022/9/27

空想地図作家、株式会社地理人研究所代表

今和泉 隆行

実在しない都市の地図を緻密に描く「空想地図」が話題を呼んでいます。その第一人者である今和泉隆行さんは7歳の頃から空想地図を描き続けてきました。空想地図の誕生秘話から他ジャンルのクリエイターとのコラボレーションへの広がりまで、もうひとつの「現実の街」を描く空想地図の魅力について今和泉さんに話をうかがいました。

ご自身が主宰する「地理人研究所」の活動について教えてください。

 いってみれば、「地図地理系の自営業」です。まず、実在しない都市の地図「空想地図」の作成と、その美術館などでの展示、著述、グッズの企画などを行っています。テレビドラマの小道具としての架空の地図、オンラインの宝探しゲームで使用する架空の地図の制作も手がけていますし、最近は、高校の「探求学習」の授業も担当。高校生たちに架空の街の地図やロゴデザインを考えてもらっています。
 一方で、実在する地図のデザインも手がけていて、三浦半島の江ノ電バスの路線図は地理人研究所で制作しました。そのほか、地図会社の地図グッズの制作にも参画しました。

地図に関心を持ったきっかけは何ですか。

 私の両親は鹿児島県出身なのですが、就職をきっかけに首都圏に来ました。インターネットが無かった当時は、生活に必要な情報を知るために、とりあえず紙の地図を買うのはごく当たり前のことでした。私が5歳の時、横浜市から東京の日野市に引っ越しましたが、地図は必需品として新聞と一緒にお茶の間に置いてあり、しょっちゅう開いては「スーパーはどこだ」「幼稚園はどこだ」と、私が地図を手に取るようになったのは非常に自然な流れでした。
 紙の地図は実は情報量がものすごく豊富で、多くの人々が目的地とする場所はだいたい網羅されています。文字が小さく、色も多くて見づらい部分もありますが、それだけいろんな情報がわかるということで、噛めば噛むほど味が出るというか、どんどん地図から街の風景が読み解けるようになっていく。私も地図を見ただけで「ここって田舎なのかな」「ここは新しい街かな」と推測できるようになり、7、8歳の頃には「古い街や新しい街って地図で見るとこんな感じなんだ。自分でも描いてみよう」と、地図を描くようになりました。

実際にある街の地図を描いたのですか。

 現実の都市の地図を描くということは思いつきもしなくて、全て架空の都市です。大人から見たら特異かもしれませんが、幼少期は「架空の世界で遊ぶ」というのは比較的自然なことなんですよね。例えば、おままごとをしたり、テレビのヒーローごっこをしたり。おままごとが架空の家族の架空の日常を身体表現するものであるように、私は空想地図を描き、架空の世界を表現するようになったわけです。

そのまま、現在に至るまで描き続けていらっしゃるのですか。

 小学生のときには同じように空想地図を描く友だちがいましたが、勉強も大変になるし、だいたいみんな中学か高校あたりでやめるんですよ。でも、私はやめなかったんです。
 中学時代は部活動もしていて、1年は卓球部、2年は工芸工作部。実態は帰宅部に近かったので、暇にまかせて空想地図を描いていました。高校時代は生徒会組織の新聞委員会に所属していたのですが、多い時は週1回、新聞を発行する忙しさで、空想地図の作成スピードも落ちていきました。それでも、描くときは描いていました。

今和泉さんが描き続けている架空の都市・中村市(なごむるし)の地図

他の人と違い、描くことをやめなかったのはなぜですか。

 中学時代は自己肯定感が低く、現実逃避をしたい衝動がとても強かったです。でも、小説やテーマパークといった非現実的な世界には関心がなくて、「現実的に現実逃避できる場所」を探して辿り着いたのが「地方都市」でした。
 地方都市は実際に人が住んで、働いて、生活できる場所です。でも、中学生の自分は、地元から遠く離れた街には簡単には行けない。「ここではない、どこか」を求めて、地方都市の地図をひたすら眺め、自分で架空の地方都市の空想地図を描いていました。

自分が暮らしたい「理想の都市」を描いたのですか。

 「理想の都市」というより、自分にとって不快ではなく、ある程度好奇心を満たしてくれて、もし、人生をリセットしてそこで暮らしても、ほどほどの日常生活が送れる街。非現実的な理想世界ではなく、今ある日常とはまったく異なる現実的な日常世界です。だから、私の描く空想地図はとても現実的な都市になりました。
 道や川、建物などのモチーフに対する好奇心も、当時の空想地図を描く衝動としてあったと思います。例えば、「運河」を知ると、「運河に囲まれた街を作ってみよう」みたいな。新たな構造物、モチーフ、都市の成り立ちみたいなものを知ると、全部地図で試してみたくなる。「こんな構造の街、絶対渋滞するぞ」みたいこともわかったりして、試行錯誤の連続で面白かったです。

それが今では仕事なのですから、人生は面白いです。

 高校時代は、将来「都市計画」を学びたいと思い、理系を志望していました。ところが、物理の単位を落としてしまい、文系に進路変更。地理学専攻に進んだものの、街づくりへの進路がなさそうでした。「文系で街づくりに関わるのは法律か経済か」と思って、別の大学の経済学部に編入。アルバイトは都市設計のコンサルタント会社、新卒ではIT企業で働きましたが、結局どちらも合わなくて辞めました。
 ずっと進路選択に失敗してきましたが、「今まで試してなかった自営業をやってみよう」と、デザイン系の派遣社員として働きながら地図の仕事をスタート。人見知りをしないこともあり、学生時代から初対面の方にも空想地図の話をポンポンしていましたが、なぜか会社を辞めてから、出版やテレビ出演などの依頼をいただくようになりました。決して、「空想地図作家として好きなことで食ってくぞ!」と決めていたわけではなく、どちらかというと消去法で残った感じです。
 空想地図でずっと生計を立てられるかはわかりません。でも、需要の有無に関係なく、空想地図をつくり続けていくことが自分の将来につながるという解釈を最近はしています。

近年は他ジャンルのクリエイターとの共同作業もされています。

 2020年に開催した空想地図の展覧会『空想調査員が見た、空想都市』では、架空の「中村市(なごむるし)」の地図の展示に加えて、10人のクリエイターたちが空想調査員として参加。コンビニのBGMはラジオパーソナリティ、中村市の住民のポストの中身は大手広告代理店のデザイナー、商店街の電飾看板や古い雑居ビルの再現はパチンコなどの遊戯機メーカーのデザイナーというふうに、架空の街の建物や店、住民の暮らしの一部などを再現してくれました。
 クリエイターのみなさんにとっては普段のお仕事では決して依頼が来ない制作物だったと思います。ご本人がやってみたいこと、展示したら面白そうなことを話し合って内容を決め、制作に着手しました。みなさん非常に前のめりで、楽しんで参加してくださったと思います。

『空想調査員が見た、空想都市』で展示された中村市で拾った財布とその中身。学生証、カード、レシートもすべて架空のもの

今も空想地図をつくり続けていますが、どのような楽しさがありますか。

 楽しむというよりは、日常業務のひとつになっていますね。最近はこれまで作った空想地図の修正が多いです。全国の都市を実際に見て歩き、都市の成り立ちを知ってから自分の空想地図を見ると、「リアリティがない」と感じてしまうことがあるんです。その結果、関連する部分はすべて描き直しです。
 展覧会などでは空想地図の展示をメインに求められますが、展示前に改めて見てみると違和感があるところが出てきて、修正することが多いです。ただ、整合性を気にする作り方ではなく、本当は中学生の時のように、整合性を気にせず「空想地図を描きたい!」という衝動を再燃させたいと思っています。
 現在は本の出版に向けて著述の仕事が中心ですが、2、3年後はまったく新しい地図を描いてみたいですね。じっくり時間をかけて、海外の要素を加えた日本とは異なる空想地図を描いていきたいと思います。

いまいずみ・たかゆき 1985年生まれ。7歳の頃から空想地図(実在しない都市の地図)を描く空想地図作家。地図デザイン、テレビドラマの地理監修・地図制作にも携わる他、地図を通じた人の営みを読み解き、新たな都市の見方、伝え方作りを実践している。空想地図は現代美術作品として、各地の美術館にも出展。主な著書に『みんなの空想地図』(白水社)、『「地図感覚」から都市を読み解く—新しい地図の読み方』(晶文社)などがある。
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