トリ・アングル INTERVIEW

俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ

vol.50-2

「2024年問題」を契機に、より魅力ある業界へ -建設業編-

2019年4月から、会社の規模や業種により順次適用が進められてきた「働き方改革関連法」。時間外労働の上限規制に5年間の猶予期間が設けられていた業種でも2024年4月1日に適用開始となり、誰もが安心して働き続けられるワークライフバランスがとれた社会の実現に、また一歩近づいたといえます。しかし、その一方で新たな課題として浮上してきたのが、いわゆる「2024年問題」です。国民生活や経済活動を支える物流業界、建設業界が、将来にわたってその役割を果たしていけるよう、企業や私たち消費者にはどのような取組、変化が求められているのでしょうか。

Angle A

前編

仕事が形に残る建設業界は、今後もチャンスに満ちている

公開日:2024/8/22

元K-1世界チャンピオン・タレント

魔裟斗

ビルや住宅から橋、道路などのインフラまで、様々なものを造り出す建設業は社会に不可欠な仕事です。K-1の元世界チャンピオンとしても知られる魔裟斗さんも、若い頃に建設業に従事されたことがあるのだとか。「自分が手掛けた仕事が形になって長く残ることにやりがいを感じた」と話す魔裟斗さんに、当時のお話などをうかがいました。

魔裟斗さんは、若い頃に建設業界で働かれた経験があるそうですね。

 10代後半の頃、一時的にですが建設業のアルバイトをしていました。当時はキックボクシングジムに所属し、プロとして試合にも出場していたのですが、収入がまだ少なくて。友人の兄が解体工事業をしていましたので、その縁で働くことになりました。
 「解体工事」と一口に言っても色々あり、僕たちが手掛けていたのは主に木造の一軒家の解体でした。解体現場には、小型の重機で柱やはり、基礎部分を撤去する人がいて、ふんじんが舞わないように水をまく人がいて……。最近、解体工事の現場付近を通りかかったのですが、僕がアルバイトをしていた30年前とあまり変わらない風景に懐かしくなりました。もちろん、空調ファン付きの作業着や接触冷感タイプのTシャツなど、当時より仕事がしやすくなった部分も多いとは思います。

当時の思い出をお聞かせください。

 肉体労働ですから、働いていた当時はとにかく大変だった記憶が強いです。解体工事の仕事をしている時は、朝6時頃に友人の兄がダンプカーで迎えに来てくれて、現場に着くと作業着に着替えて8時から作業開始、17時に終了という生活でした。僕は解体中の家に水をまいたり、解体された家のパーツをダンプカーの荷台に並べたりといった作業を担当していましたが、釘などでケガをする危険もあり、作業中は気を抜けませんでした。
 解体工事の他には建物の骨組になる鉄筋を組み立てる「鉄筋工」の仕事も経験しましたし、「はつり」の仕事をしたこともあります。

「はつり」という言葉は初めて聞きましたが、どういう仕事なのでしょう。

 コンクリート製の建造物に対して、削る、壊す、穴を開けるなど、何らかの加工をする工事を「はつり工事」といいます。僕が担当したはつり工事はビルの建設現場が多く、コンクリートの壁にエアコンのダクト用の穴を開けたり、壁を一定の薄さに削ったりといった仕上げ作業を主に行っていました。
 経験した現場の中でも特に規模が大きかったのは、コンサートホールや美術館、オフィスなどが入った複合文化施設「東京オペラシティ」です。今でもあの前を通ると、一緒にいる人に「あれは俺が建てたんだ」と冗談半分で自慢しています(笑)。実際に僕が手掛けたのはエアコンのダクト用の穴を開ける作業でしたが、自分が少しでも携わった建物が何十年も残るのは、建設業の仕事の醍醐味だと思います。東京タワーや首都高速道路は60年以上経った今も現役で使用されていますし、当時建設に関わった方たちはとても誇らしいのではないでしょうか。

鉄筋工、はつりなど、建設現場では様々な作業を手掛ける方たちが働いているんですね。

 現場では、そういう様々な役割の人たちが時期によって入れ替わったり、一緒に働いたりするので、ちゃんと順序立てて協力し合わないと正確な仕事ができません。そのため、全体を統括して仕事を進める現場監督の手腕が重要で、僕たちは指示に従ってきちんと動くことが求められました。
 当時はまだ10代でしたから、各自の役割分担により成り立っている社会の仕組みのようなものを学ぶことができたのはよかったと思います。冬になると建設会社の社長さんが現場で温かい食事を振る舞ってくださることもあり、アットホームな雰囲気も魅力でした。

建設業の方との交流は今も続いているのですか。

 昔からの友人の中にはとび職人になり、今では自分で会社を経営している人がいます。ちなみに、当時現場で一番「えらい」と認識されていたのは鳶職でした。彼らが足場や鉄骨を組まないことには作業を始められませんから。
 友人の話によると、会社には400人程度の従業員がいるのですが、ここ数年は仕事がどんどん増えて現場で働く人材が足りないケースもあるそうです。それだけ日本各地で建物を解体したり、建設したりされているということで、「仕事はあるから、やる人がいれば稼げる」とも言っていました。ただ、その友人とはたまにバイクツーリングをするのですが、彼の都合がつくのはたいてい日曜日なんです。週休2日制らしいのですが、忙しいときは土曜日も現場が優先になるようです。こうした労働環境の改善が、業界で働く人を増やすための課題のひとつなんだろうなとは思います。

建設業のアルバイトをしていた当時、キックボクシングのトレーニングはどうされていたのでしょうか。

 アルバイトを終えたらそのまま電車でジムに行き、18時半から2時間ほど練習していました。家に帰る頃にはもうクタクタでしたね。アルバイト先も僕の事情を理解してくれ、どの現場でも17時までに終わるよう配慮してもらえたのはありがたかったです。ただ、体力を使う建設業の仕事とキックボクシングの練習とを両立させるのはなかなか難しく、しばらくしてアルバイトはやめることにしました。やはり、格闘技をやるからにはそのトップに立ちたい、チャンピオンになりたいという想いが強かったですし、そのためにはキックボクシングにもっと集中する必要があると思ったからです。

確かに、アルバイトで疲れてトレーニングに集中できなかったら本末転倒です。

 以前は若手の格闘技選手にとって、体を使ってそこそこの収入になる建設業の仕事は定番ともいえるアルバイトでした。しかし、今はトレーニングの方法も違いますし、動画配信など、収入を得る方法も変わりましたから、建設業でアルバイトする選手はほとんどいないと思います。
 ただ、先ほどの友人の話のように現在、解体や建設のニーズは高いようですから、建設業界で働きたい人にとってはチャンスにあふれた状態だといえると思います。それに、建設業界自体が以前とは変わってきていて、先日訪ねたある解体業の会社は、本社は都心の一等地、社内も洗練された雰囲気で、ITの活用も進んでいました。昔のような「キツい」「汗臭い」といったイメージはまったくありませんでしたね。こうした変化を広く知ってもらうことで、若い人にも建設業界に興味を持ってもらえるといいですよね。

まさと 元K-1世界チャンピオン・タレント。1979年3月10日生まれ、1997年にキックボクシングプロデビュー。その後K-1に参戦し、2003年、2008年に世界チャンピオンとなる。2009年大晦日に惜しまれながら30歳で現役を引退し、現在は格闘技解説、タレントとして活動。最近ではリフォームや解体などのテレビ番組にも出演。また、YouTubeでは自身の「魔裟斗チャンネル」で動画を配信し、登録者数42万人を超える。最近の趣味はハーレーダビッドソンでのツーリング。プライベートでは3児の父であり、2022年にはイクメンオブザイヤーを受賞。
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