トリ・アングル INTERVIEW

俯瞰して、様々なアングルから社会テーマを考えるインタビューシリーズ

vol.44

足元に宝の山! 循環型社会を実現する下水道資源

下水道の主な役割といえば、汚水を処理場で浄化し、川や海に戻すことなどを思い浮かべる方が多いと思います。
しかし、近年はそれだけにとどまりません。栄養豊富な処理水、有機物を多く含む汚泥、発電利用が進むバイオガスなど、汚水の処理過程で発生するさまざまな資源やエネルギーが、循環型社会を実現する鍵として注目を集めているのです。
今回はその中でも「下水道資源の農業利用」にフォーカスし、下水道の持つ高いポテンシャルに迫ります。

Angle B

前編

栽培コスト削減と収穫量増につながる「下水道資源」の農業活用とは

公開日:2023/5/16

山形大学農学部食料生命環境学科

教授

渡部 徹

水資源に恵まれない国・地域を中心に、世界では「下水処理水」や「下水汚泥」を作物の栽培に生かすなど下水道資源を活用した循環型社会を目指す取組が進んでいます。日本でも高騰する肥料価格、食料の安定供給といった課題の解決に役立つものとして、近年、注目が高まっています。いち早く下水道資源の活用法を研究し、飼料用米の栽培実験等を行っている山形大学農学部教授の渡部徹さんに、下水道資源を農業活用するメリットや課題について話をうかがいました。

農業に活用する主な下水道資源について教えてください。

 下水道資源のひとつである「下水処理水」は、下水処理場で下水からゴミや砂、汚れなどを除去し、国や自治体の排水基準をクリアした状態の水です。川や海などにそのまま放流できますが、下水処理水には窒素、カリウムなどの植物の栄養となる有用な物質なども含まれています。それを農業に利用するわけです。
 水不足の地域では、古くから下水処理水を溜池に流し込むなどして、農業用水の一部として使ってきました。川から農業用水を引いていたとしても、その川の上流では下水道から放流された下水処理水が流れ込んでいて、農家の方はそれを知らずに使っているケースも多いと思います。
 下水の浄化過程で発生する「下水汚泥」にも、植物の生長に欠かせない窒素、リン酸などが含まれます。1970年代以降、下水道が広く普及するとともに汚泥の発生量が増えたことから、1980年前後にはこれを肥料にする、いわゆるコンポスト化(※)に全国の自治体が盛んに取り組んだこともあります。ただ、下水道に対するネガティブなイメージもあり、化学肥料に取って代わるまでに至らず、取組は徐々に下火となって、今ではコンポスト製造をやめた自治体も多いです。
 ※下水汚泥などの有機物を微生物により分解・発酵させて有機肥料を作ること。堆肥化。

しかし近年は、下水汚泥肥料は農家から人気だと聞きます。下水道資源の活用が注目されるようになったのはなぜでしょうか。

 ひとつは、人々のSDGsに対する理解が広がり、循環型社会への関心が高まったからだと思います。現在、下水汚泥は産業廃棄物として焼却処理されるのが一般的ですが、それはいわば、コストをかけて資源を捨てている状態です。2015年7月に行われた下水道法の一部改正では、「公共下水道管理者は、下水処理で発生する汚泥の減量に努めると同時に、燃料や肥料として再生利用するよう努める」という努力義務が追加され、法律面でも下水道資源活用を推進することになりました。
 また、「食料の安定供給」という課題を解決する側面もあるでしょう。日本は肥料のほとんどを輸入に頼っていますが、世界的な需要の増加、生産と輸送に係るコストの上昇、円安などの影響で、国内の肥料価格は現在、かつてないレベルで高騰しています。加えて国際情勢の変化により、ロシアや中国などの肥料原料の産出国から日本への供給量が減少しており、価格がすぐに落ち着くとは考えにくい状況です。その点、下水汚泥肥料は、廃棄されるものを活用しているため安価というメリットがあります。下水処理水も含めた下水道資源は、国内で安定的に生産供給できる肥料として注目されているのです。

下水道資源の活用例にはどのようなものがありますか。

 すでに日本全国で下水道資源を活用した作物の栽培が行われています(図➀参照)。ただ、一般の方にはそうした情報が届きにくいこともあり、国土交通省では下水処理水や下水汚泥肥料、汚水の処理過程で発生する熱やCO2(※)を利用して作物を生産する取組を「BISTRO(ビストロ)下水道 」と命名してアピールしています。
 下水処理場で水を浄化することにより美しい環境を維持できるのは喜ばしいことですが、さらにその過程で必ず発生する下水処理水や下水汚泥を農業に活用する工夫は、サステナブルな社会を実現する上で非常に重要だと思います。下水道資源の活用は世界的には広く行われている取組ですが、水資源が比較的豊富な日本では、これまであまり注目されていませんでした。今後は、日本でも本格的に活用が進むことを期待しています。
 ※主にハウス栽培で利用。温度、湿度、光合成に必要な二酸化炭素濃度を調整し、作物に最適な環境を実現する。

出典:『BISTRO下水道』(国土交通省)より作成

下水ということで、やはり安全性が気になるのですが、どのように汚れを除去しているのですか。

 下水に含まれる汚れの除去は、主に汚泥の中に生息している微生物の力で行っています。これは自然界でも起きている身近な現象で、下水処理場では下水と汚泥を混合した後、空気(酸素)を供給することで活性化された汚泥中の微生物が、下水に含まれる汚れを取り込んだり、分解したりしています。その後、上澄みと汚泥に分離させるのですが、汚れを取り込み成長した微生物は汚泥の中に沈殿します。ここで沈殿した汚泥の一部は、次に入ってくる下水の処理に使われます。上澄みは消毒・滅菌してから、下水処理水として川や海に放流します。

農業に使用する際には何らかの基準があるのでしょうか。

 農業に使用する水の水質基準は、農林水産省の農業用水基準により水素イオン濃度、重金属濃度などいくつかの項目と基準値が定められています。
 下水汚泥を原料とする肥料は、「肥料の品質の確保等に関する法律(以前は肥料取締法と呼ばれていた)」に定められた普通肥料の条件をクリアする必要があります。そのため、ほかの肥料と品質に変わりはなく、健康影響が気になる重金属の含有量も厳しく管理されています。

渡部様が研究されている下水道資源の農業活用について教えてください。

 私は工学部土木工学科出身で、処理水の安全評価をはじめ、人々の暮らしを支える水環境工学を専門としてきました。2010年に山形大学農学部の教員になり、それまでの経験を活かして下水処理水の農業活用に関する研究を始めました。いろいろな作物の中で、農学部が位置する鶴岡市が「米どころ」の庄内平野にあること、水田では大量の水を必要とすることに着目し、水稲の栽培に下水処理水を活用する研究に最初に取り組みました。
 水田灌漑かんがい(※1)のための下水処理水の利用は、国内でも水が不足する地域で見られますが、そこでは川やため池の水と混合して使われています。私が2011年に始めた研究は、下水処理水のみを使うという特殊な条件で行いました。鶴岡浄化センターにご協力いただいて同センター内に実験水田を作り、そこに消毒後の下水処理水を灌漑し、肥料は一切使用せずに飼料用米を栽培したのです。比較のための対照水田には通常の農業用水、化学肥料を使いました。
 結果は、実験水田の方が多くの米を収穫でき、下水処理水による栽培の有用性を確認できました。しかも、肥料を使わない分だけ生産コストを削減できる可能性があります。また、処理水で栽培された米はタンパク質含有率が高く(※2)、家畜を育てるのに適した米になりました。
 ※1 「灌漑」は河川、湖などから田畑に水を引き、人工的に給水や排水を行うこと。水田では、数センチから10センチ程度の深さで水を貯める必要があるため、畑よりも多くの水を必要とする。
 ※2 タンパク質含有量が高いと米の食味は悪くなるが、栄養価は高くなる。そのため、食用ではなく飼料用に向いている。

鶴岡浄化センターに作られた試験水田。下水処理水のみで肥料は一切使用していない。

肥料無しで稲が育つというのは驚きです。

 JA鶴岡や鶴岡市下水道課のご協力により地元の農家をご紹介いただき、鶴岡市内の水田3ヵ所でも実験を行いましたが、いずれも鶴岡浄化センターでの実験と同様の結果(図②参照)を得ることができました。むしろ問題は、下水処理水の栄養成分が多すぎて稲が育ちすぎることです。稲の背丈が高くなり穂が充実するほど、強風などで倒れやすくなってしまいます。ただ、この問題も処理水を灌漑する量をコントロールすることで解決できる見込みで、下水処理水を使った飼料用米栽培は実装できる段階まできています。
 日本では化学肥料や家畜飼料穀物はほとんど輸入に依存しており、ウクライナ問題や円安の影響でそれらの価格がかつてないほど高騰しています。今後の改善の見通しが立たない中で、下水処理水を使って飼料用米を栽培したり、下水汚泥を肥料として活用したりする取組は、食料安全保障の観点から重要性を増しています。そうした取組が広がることで、循環型社会の実現にも役立つと考えています。

出典:渡部氏提供データ
わたなべ・とおる 山形大学農学部食料生命環境学科教授(エコサイエンスコース担当)。1998年、東北大学工学部土木工学科卒業。2006年、東北大学大学院で博士(工学)の学位取得。2008年、日本学術振興会海外特別研究員としてアメリカのドレクセル大学で客員助教を務める。帰国後、東京大学環境安全研究センター特任准教授を経て、2010年4月山形大学農学部食料生命環境学科准教授に就任。2015年4月から現職。同大学農学部副学部長も務める。また、岩手大学大学院連合農学研究科教授も兼任している。
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